わたしは、安倍首相の『美しい国へ』が刊行された2006年から繰り返しその異様な思想ついて書いてきましたが、この本はきちんと読まれていないためか、民主政とは背反する驚くべき安倍イズムについては批判されていません。恐ろしく危険なことです。以下は、核心部分ですので、ぜひご熟読をお願いします。
安倍首相が自著でアケスケに語る「明治憲法」の肯定ー天皇制への回帰
人は、生まれた国や地域などにより、表層は異なりますが、深層は共通です。それは言葉の違いと同じです。
生まれた地域や国により言語は異なりますが、「言語という共通の世界」は、国や地域の違いに関係なく、先天的にもっているわけです。
「違い」は表層的で、深層では「共通」です。それゆえに個々の文化の違いを超えた共通認識が可能です。
ここに力点を置かない限り、人間世界の平和的発展は築けないのですが、安倍首相の『美しい国へ』(及び改定版の『新しい国へ』)では、「人間」という概念が、「国民」という概念の下に位置づけられ、「リベラル」「個人」「地球市民」という言葉=概念にひどい嫌悪感が表明されています。「ののしって」いると言った方が適切でしょう。
かわりに宣揚されているのが、日本人という自覚、ナショナリズム=愛国心ですが、その意味は、以下の通りです。 『美しい国へ』の101~102ページ(改訂版の『新しい国へ』2013年1月では、105=106ページ)
「日本の歴史は、天皇を縦糸にして織られてきた長大なタペストリーだ。日本の国柄をあらわす根幹が天皇制である。
憲法第一条では、天皇についてつぎのように規定されている。
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」
GHQ(連合国軍総司令部)から憲法の改正草案が日本側に手渡されたのは、1946年の2月13日。それは、2月8日に政府がGHQに提出した改正要綱にたいする拒否の回答と同時であった。
政府は、「日本は歴史はじまって以来、天皇によって統治されてきたので、いまさら共和国にするとか大統領を元首にするとかという案は国民が許さない」として、天皇が統治権を総攬・行使するという明治憲法の基本を引き継ごうとした。しかし、GHQはそれを許さなかった。
両者の間には激しい攻防があったが、結局「GHQ案をのまないと天皇制そのものが存続できなくなる」という危機感から、象徴天皇制を受け入れることにしたのであった。」
ここにアケスケに表明されている安倍首相の思想は、到底、民主政とは相いれないのものですが、この国体思想への回帰という安倍イズムが、日々、強烈な国家主義の政策を生み出してる源泉なのです。ただし、現天皇の明仁さんや皇后の美智子さんは、安倍首相のいう「天皇を頂く国体」という考えには明確に反対を表明しています。明仁天皇vs安倍首相という構図です。
日本は、再び、戦前思想=国体思想=靖国思想へ!それでいいはずはありません。
主権在民、市民が主役の自治政治への転換は、500年以上前の惣村、自治都市、一向宗自治区への回帰でもあり、日本の民衆の伝統です。わたしたち市民は、旧支配階級(A級戦犯とその子孫たちー明治の長州藩の末裔)のアナクロニズムと決別しなければなりません。
直接民主制は、古代ギリシアのみならず、中世日本の伝統でもあるのです。わたしたちは、誇り高い「市民精神」=豊かな人間性をもつ自立した市民の共同体をつくりましょう。みなさま、ぜひ共に!