思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「オウム・20年目の真実」 と 「戦前の天皇教」と。

2015-02-22 | 社会批評

 昨晩、白樺の「大学クラス」を終えて、近くの温泉に行きましたが、そこで「オウム・20年目の真実」(テレビ朝日)という番組の一部を見ました。ちょうど、元幹部の上祐(情宣担当者)ともう一人、核爆弾の開発(失敗)を担当してたという人へのインタビューを見たのです。

 彼らは、サリンによる無差別殺人を麻原に指示されたが、それを止めるという心=考えは持てなかった、と言います。ハルマゲドン(人類の滅亡と救済)という思想があり、その思想から導かれる種々の行為は「よい」ことだと思っていたそうです。

 生きた神である麻原の教えが精神的な絶対の拠り所となっていた為に、教祖を「批判する思考」は存在しなかったとのことです。

 ここで、明治以降の戦前の歴史を振り返りましょう。

 生きた神、現人神(あらひとがみ・あきつみかみ)という思想は、戦前のわが国を覆い、小学校・国民学校から全国民に徹底された考え方です。「国体思想」と呼ばれます。

 唯一の神=神はただ一人である、という一神教の思想は、人々を一つにし、強力な国家をつくる上に欠かせないと判断した伊藤博文が中心となってつくった明治の新宗教がこの「天皇教」でした。伊藤らは、長州藩の金を横領して、イギリスに渡ったわけですが、そこでは、キリスト教原理主義=ピューリタン思想に基づき、民主政と資本主義が行われていて、それが生みだす巨大な文明に圧倒された伊藤らは、日本の近代化には強い宗教が必要だと痛感したのでした。

 この天皇が統治する日本というお話=「物語」を教育により全国民に徹底させたのが、近代日本です。一人ひとりのありのままの心ではなく、忠君愛国(天皇と皇室を敬い、従い、皇国の日本を愛する)という心をつくりあげることが何よりも大切にされました。

 そこでは、「批判する思考」は育たず、「目上の人に従うだけの」子どもがつくられました。麻原のオウム教とまったく同じ構図です。違うのは、戦前の日本は、政府=国家をあげて行ったということでしょう。全国民の教化でした。

 そういう教育、生きている一人の男性を神だとする思想(もちろん、いまの明仁天皇は、そのような思想を明確に否定し、現日本国憲法を尊重すると述べています)に基づく教育を、日本の政府(安倍首相の祖父、岸信介など)は、文部省と共に強力に推し進めました。これは「単純な歴史の事実」ですが、それへの反省がないまま、また、「愛国心を育てる道徳教育」を始めるというのですから、その愚かさに呆れ返ります。

 第二次大戦直前のアメリカの映画ー『日本を知れ』の中では、日本の学校や職場を紹介していますが、そこにナレーションが入ります「このように、日本には道徳は存在しない、ただ目上の人に従うだけである」と。修身と呼ばれた日本の道徳教育は、目上の人に従うだけの人間をつくり、「私」の判断能力(個人の自由と責任)を育てない=ゆえに道徳は存在しない、と評されていますが、いまなお、道徳を修身というレベルでしか理解できない文科省の官僚やウヨク政治家が跋扈するわが日本という国の次元の低さには言葉もありません。

 戦後の日本は、「現人神」という精神的支柱を失ったことで、ほんらいは、 「私」の自由・責任・自己判断能力を育てる広義のフィロソフィー(哲学・恋知)が何よりも必要とされたのですが、それには無頓着でした。ただ、「事実学」をため込むだけの学問や「受験秀才」の育成に邁進し、「意味論・本質論」はなく、人間とはなにか、人はいかに生きるべきか、わたしはどのような人生を歩むか、という何よりも大切な問いを封印しました。

 「東大病」という精神の病、「東大教」という宗教が知らぬ間に人々の心と頭を支配してきました。【世俗の価値】以外の価値を知らない薄ぺらな人生を歩む人々は、心を深く病んでいます。精神的な絶対の拠り所を求めて、オウム教の変種・亜種が後をたたないのは、当然です。

 個々人の心=精神の問題と、日本という社会の問題は、深くリンクしているようです。
  ☆ 「恋知とはなにか」をぜひご覧ください。

  武田康弘

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