二度目はない、許せば、地獄。
わたしは、今の安倍政権が進めるままに、軍事力を行使する国に戻れば、日本は終わりだと思っています。
昨年から始まった「戦後の平和主義」をチャラにし、欧米と同じように軍隊を海外に出すという国家戦略は、「無知の上に成り立つ愚挙」に過ぎないのです。
戦前の日本の軍国主義を可能にしたのは、「天皇現人神という国家宗教」(天皇教=靖国思想)でしたが、これへの思想的反省がないままに(ないどころか、その思想による東条内閣の重要閣僚だった岸信介を敬愛する安倍首相が進めるのが明治以来の国家主義)再び、軍事力を行使できる国にするならば、イビツな「日本人という集団」が出来てしまいます。
恐ろしい結果を招来した「国家犯罪を支えたイデオロギー」への真摯な反省をせずにアメリカに追随すれば、いまの明仁天皇も嫌がり否定している「近代天皇制」を復活させてしまい、個々人の想い・考え(一般意思)に依拠する民主政は、その根元がグズグズと溶けて「日本人」という独特の集団に陥ります。
「普遍性をもつ人間」という土台の上に成立する日本人ではなく、「特定の色に染まった」日本人という団塊が出現すれば、第二次大戦後の世界の秩序は壊れます。普遍性を謳う「世界人権宣言」(エリノア・ルーズベルトが中心となり起草し国連で採択)の思想は、日本から消えていきます。その作業をしているのが、安倍首相の長年の友人で政府の教育再生実行委員を務める八木秀次(麗澤大学教授)です。ちくま新書の『反 人権宣言』では、「われわれはもう〈人権〉という言葉におびえる必要はない、日本人は、〈日本の常識〉に戻ればよいのだ。」と主張し、天皇陛下の慈悲により成立する「明治憲法」を讃えていますー『明治憲法の思想』PHP新書。
戦前思想への真面目な取り組みと批判がないと、日本の国を支える思想は、近代市民社会に依拠するのとは逆に、明治の保守主義がつくった日本主義(国体思想=靖国思想)に戻るほかなくなります。
個々人の実存から出発する社会思想・公共思想をしっかりつくる知的営為がないのは、致命的欠陥なのです。早く気づけよ、わが日本人。明治の国家主義の二度目はない。
武田康弘(元「参議院行政監視委員会調査室」客員調査員 哲学講師)