思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「一般人」の視線で己を見る神経症で一生を終えては、損も損。

2015-03-24 | 恋知(哲学)

わたしはいつも感じるのですが、

どうも多くの人は、

自分の内から湧くエロースをまっすぐに肯定できず、

世間=外の価値意識に照らして(一般的な見方に囚われて)、ビクビクと生きているようです。

だから、ためらいなく己の内側の精神に向かうことができず、

「一般者」の視線で己を見る、という神経症者のままに一生を終えるのではないでしょうか。

発する言葉は、いつも広義の「言い訳」でしかなく、ほんとうの意味の自己主張と行為がないようです。

生のよろこび(エロース)が薄い人生を歩む、上位者の意向に【自分から従う】という深いドレイ精神から抜けられない、ああ、同朋よ!

幸福は、「自分自身として生きる」ところからしかやってきません。これは、生の原理中の原理なのです。

気付かないと、一生が無駄になってしまいます。

 

(クリックで拡大。私の「お気に入り」ーとても使いよく、民芸の「用の美」を象徴する絶品。だいぶ前に益子の陶器市で2500円で購入)

 

武田康弘

 

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