わたしはいつも感じるのですが、
どうも多くの人は、
自分の内から湧くエロースをまっすぐに肯定できず、
世間=外の価値意識に照らして(一般的な見方に囚われて)、ビクビクと生きているようです。
だから、ためらいなく己の内側の精神に向かうことができず、
「一般者」の視線で己を見る、という神経症者のままに一生を終えるのではないでしょうか。
発する言葉は、いつも広義の「言い訳」でしかなく、ほんとうの意味の自己主張と行為がないようです。
生のよろこび(エロース)が薄い人生を歩む、上位者の意向に【自分から従う】という深いドレイ精神から抜けられない、ああ、同朋よ!
幸福は、「自分自身として生きる」ところからしかやってきません。これは、生の原理中の原理なのです。
気付かないと、一生が無駄になってしまいます。
(クリックで拡大。私の「お気に入り」ーとても使いよく、民芸の「用の美」を象徴する絶品。だいぶ前に益子の陶器市で2500円で購入)
武田康弘