自分自身として生きることができない、これが、日本人の特徴=不幸でしょう。
たえず、外なる価値に強迫され続ける人生を歩みます。
自分は何番か、どこいらへんにいるか、という序列の意識で縛られ、自分の人生を楽しむことができません。
みなが強迫神経症かもしれませんね。「序列意識」と「型」をなくしたら何もない、笑えない笑い話でしかない人生を続けます。ニンジンをぶら下げられた馬のごとく走り続けるしかないようです。
内容、中身が希薄。形式と儀式の国。序列を競う競走馬のような人間の群れ。
自分の中から湧き上がるエロースを殺す「半分死んだような人生」を自他に強要するウイルスに犯されているために、表情に乏しく、心も頭も身体も固い、こわばっています。
のびのび、しなやか、堂々、嬉々としてる、優しさと愛に満ちている、とは正反対。
学校の入学式・卒業式はその象徴、一人ひとりの人間ではなく、儀式が偉い!?!?おかしな宗教と同じですが、いつまでもそれを続ける底なしの愚かさ。
自信ありげな日本人はといえば、外的価値を所有しているために、心理的に人の上にたつ序列上位者のみ。彼(彼女)らは、他者を見下す人々。自分では意識しなくても、そうい場所で生きている人は、潜在的な人間差別者。
上と意識する、下と意識する。---こういう愚かな想念から自由になるには、フィロソフィ=善美への憧れをもち真実を探求する心をもつことが不可欠、とわたしは考えています。
わたしを輝かす、わたしが輝く素晴らしい営みが恋知=フィロソフィです。
武田康弘