思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

31万件の「いいね!」に感謝です。 元防空ミサイル部隊の泥さんの初街頭演説ー「集団的自衛権反対」

2015-10-30 | 社会批評


昨年7月にアップした泥 憲明さんの街頭初演説は、1年3か月で31万件の「いいね!」を頂きました。とっても感謝です。
これはまずない記録でしょう。

引き続き、安倍首相の愚かで危険な政策(背後には「戦前思想」のおぞましさ)を明白にする泥演説の拡散をお願いします。


http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/40768d2be233f251b6ff75903613f0db

クリックしてください。

武田康弘

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水の国=日本、よき伝統を破壊したのは誰ですか? 靖国の乾いた強権は反日本です。

2015-10-30 | 社会思想

10年前のBlogですが、コピーします。

 

水の国=日本、よき伝統を破壊したのは誰ですか?

 

2005-04-06 | 社会思想

 


明治政府のつくった近代天皇制=生きている人間を「神」(現人神)とする恐ろしい思想は、自国にも他国にも甚大な損害を与えてきました。人的にも自然・風土にも。欧米を真似た「乾いた」強権的な思想による政治は、伝統の日本とは大きく異なるものです。

いうまでもなく日本は水の国です。多雨、深い森林、海に囲まれた島国です。しっとりと「濡れた」文化が日本のよさです。例えば「明晰」といっても、それは乾いた厳しさではなく、透明度の高い水を連想させます。空気も多く水気を含んでいます。「もののあはれ」を感じる叙情性、優しさ、よい意味での曖昧さ、そこに日本のよさがあるのではないでしょうか。

本来の日本の伝統とは、明治政府がつくった施設=靖国「神社」の思想とは、根本的に異なるものです。戦争のために命を捨てるという恐ろしい思想、現人神を崇拝するという不自然かつ危険な思想とは無縁なものです。

天皇という存在は、元来「神話的」で曖昧なものなのです。政治の場面に登場させるのはルール違反です。法律=憲法に明記されるものではなく、古き神話の世界に生きる「旧家」として静かで控えめな存在でなければならないのです。表舞台で活躍する欧州の王家とは違います。

それを現実の世界に引き出してしまった明治政府の所業を根本的に反省しなければ何事も始まりません。「近代天皇制」の出現によってよき日本の伝統は破壊されたのです。この事実を日本人皆が深く心に刻まなければ、未来は展望できません。

繰り返します。日本は水の国です。「風土としての日本」を基点に文化・伝統を捉えなければいけないと思います。

(私事ですが、私が幼いころから好きで毎年必ず行くのは、奥多摩の渓谷と岩場の海―大学生の時からはずっと伊豆七島の式根島―です。日本の自然を破壊してきたのは、公共事業という名の自民党+官僚と癒着した風土破壊事業です。私の愛してきた美しい奥多摩と式根島も、全く無意味な工事で破壊され続けてきました。幼いころ何よりも好きだった逗子海岸左手の岩場は、ずっと以前にコンクリートで固められてしまいました。)

日本の伝統のよさを壊したのは「近代天皇制」の明治政府なのです。自民党はその明治政府が人為的に作った「日本」に伝統を見るという愚かな思想を恥ずかしげもなく提示していますが、対する民主党も問題の本質が分からず、右往左往するだけというありさまです。

毎年自殺者が3万数千人も出る戦争状態のような現代日本―『人間を幸福にしないシステム』の始まりは、明治政府にあります。それを引き継いできた自民+官僚保守政治の伝統を変えなければ未来はない、これだけははっきりしています。

「乾いた」強権ではなく、深い「優しさ」による革命を準備しなければと思います。個人の想いを掬い上げる哲学が必要です。日本のよき伝統は、明治の天皇教のような一神教にはなく、八百万の神のギリシャ世界に近いのです。一神教の欧米ではなく、哲学のギリシャと親近性を持つのです。

宗教から哲学へ!集団から個人へ!常識に反して21世紀にふさわしよき生ーよき社会は、「水の国ー日本」の優しい個人に立脚した新しい実存哲学から生まれるのではないでしょうか?

 

2005.4.5(4.6改定) 武田康弘
 

写真は、奥多摩。
ソクラテス教室のハイキングで。
クリックで拡大


 

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