10年前(2006年の12月)に、わたしと山脇直司さん(当時・東京大学大学院教授)とは、「武田の主観性の知としての哲学」を巡り討論的対話をしましたが、 その最後に山脇さんは、「武田哲学」に共感・共鳴し、「武田さんの考えは、日本にはない『哲学の王道だ』(自分がミュンヘン大学で学んだ主任教授と同じだ!)」と言われました。
では、フィロソフィの王道とは何か?といえば、決して難しいことではなく、自分の頭で考え、体験を踏まえ、それをきちんと述べることの練習です。 「覚えること」や「信じること」ではなく、「考えること」ですので、どのような分野であれ、たとえ小学生が国語の本を音読するのも、フィロソフィになるのです(文脈から意味を汲み取りつつ読むという音読ー考える音読)。
わたしは、内田卓志さんから「哲学インタビュー」を受けてお応えしてきましたが、もちろんそこでも、この「王道」を歩んでいます(東大出版会から刊行された金泰昌さんとわたしの「楽学と恋知の哲学対話」の30回も、同じ考え方・方法によります)。
内田卓志さんによるインタヴュー対話(6~10)が、「白樺教育館ホームページ」にアップされましたでの、ぜひ、ご覧ください。
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内田卓志さん
2015年49歳上野で
(撮影:武田)
武田康弘
2015年63歳 教育館にて
(撮影:ソクラテス教室小学生)