思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

モーツァルト Vソナタ 全曲演奏会最終日 イブラギモヴァ+ディベルギアン 王子ホール。興奮冷めやらず。

2016-03-26 | 芸術

アリーナ・イブラギモヴァ(ロシア生まれ・10才のときイギリスに移住)というヴァイオリニストの凄さは、もうなんと表現したらよいのやら。

昨晩は、昨秋10月1日から続いたモーツァルトヴァイオリンソナタ全曲演奏会の最終日。

技術的な意味で彼女に難しい曲はありません。バッハからイザーイの無伴奏、プロコフィエフのソナタ、どのような曲でも自由自在で、やすやすと余裕感を持って弾きますが、技術的なレベルの話はどうでもよく、アリーナ・イブラギモヴァは、21世紀のいまの音楽を奏でます。20世紀の客観主義や昔の精神主義などとは次元が異なる人間性豊かな主観性の音楽です。のびのび自由で、固定観念から解放され、大胆不敵です。おそろしく幅が広く、弱音から強奏、繊細な濃やかさから強靭無比、優しい微笑みから圧倒される激しさ、感情の幅=豊かさには唖然とします。しかもどのような場面でも美しくしなやかで魅力的な音は一貫していて、耳障りな音は少しも出しません。

まさに21世紀のルネサンス、人間の自由と個性の発露であり開花です。囚われなどどこにもありません。それをもたらす精神の健全と強靭は、なんとも頼もしい。相棒のフランスのピアニスト、セドリック・ディベルギアンは10才年長ですが、アリーナの磐石の力に喜んで共調しているのが分かります。見事な名演を二人は苦闘の末に奏でているのではなく、よろこびー楽しみの行為としているのです。

だから、昨晩のモーツァルトは、いまを生きる新しいモーツァルトの新作を聴くような感動で、聴いていた私は(恐らく王子ホールにいた皆は)興奮が収まりませんでした。まさに、時代に反逆し(ウィーンの大司教や貴族と激しく喧嘩)、音楽の歴史上はじめて【自立】を成し遂げた(1781年25歳時)モーツァルトに相応しい自由で人間味あふれる音楽が、強い確信を持って奏でられました。

 古典的でありロマン的でもあり、現代音楽のようであり、さらに、フォーク(民謡)であり、ロックであり、即興的なジャズでもある。自由に今を生きる音楽は、既存のモーツァルト像を破壊し、新しくかつ現代に蘇る普遍的な音楽としてのモーツァルトを現出させたのです。これは、事件です。でも、彼女らは、なんの気負いもなくニコニコとして前に進んでいきます。時代はこのようにして変わっていくのでしょう、「過去」は良性の菌の働きで肥やしとなり、消える。「今」が未来に向けて意味深く輝く。う~~ん、実に気持ちよい。

彼女は、「優秀」とか「エリート」というようなツマラナイ存在とは無縁のほんものの芸術家です。世間的な評価などは超越しています。制度の範疇(音楽大学などの世俗的価値)に収まるような人間ではありません。だからこそモーツァルトの実像を現代に蘇らせることに成功したのです。再度言います、21世紀の新作モーツァルト!!


この後、30日は、所沢のアーリーホールで無伴奏の演奏会。4月6日は、再び王子ホールでアリーナがつくった弦楽四重奏団「キアロスクーロ・カルテット」の公演です。とても楽しみ。



武田康弘

 写真は、昨年10月1日と2日に撮ったもの。昨日、それにサインをもらいました。

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