思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「国が、国は、国側???」=詐術にすぎぬ言い方 。騙(だま)し、騙されるわが日本人、哀れで愚か。

2016-03-13 | 学芸

 毎日毎日、ニュースや社会解説番組で、何百回も繰り返される「国は」「国対住民」「国側勝訴・敗訴」、国、国、国。

 ここまでウソというより詐術の言葉を繰り返すマスコミ関係者、あるいは、評論家は、【国語科の学習・社会科の学習】の内容を身に付けているのでしょうか?
大学入学試験に合格しても何も分からない=丸覚えとパターンの刷り込みだけで、ほんとうのことは何も知らない人だらけのようですね。
もしそうでないなら、明治維新の末裔(主に長州藩の下級武士たち)とその従属者である今の政府関係たちに脅されて、あるいは誘導されてそう言っているのでしょうか?

 国は、ではなく、 政府は、あるいは官邸は、であり、または、通産省が、財務省が、文科省が、です。
いまの政府の意思に過ぎないものを、国は、という。いまの官邸の意向でしかないものを、国が、という。官僚たちの集合意志=惰性態でしかないものを、国側は、という。

 現在の日本国は、主権者を市民=国民とする民主政なのではないのですか(憲法第一条にある通り、天皇は象徴であり、その地位は、主権の存する日本国民の意志に基づくのです)。

 明治天皇所持の伊藤博文の写真(宮内庁が公表)
憲法作成者の伊藤博文は、大日本帝国憲法は、天皇から恩寵として臣民に与えられるものであり、「主権が国民に変わることは永久にない」と教説)


 無条件降伏による敗戦までの明治憲法(大日本帝国憲法)では、主権は天皇にあったのですから、民主政の前提である「人民主権」とは異なりましたが、現憲法では、主権者(国家権力の源泉)は、わたしやあなた=国民にあるのです。小学校の教科書に記載されている通りです。これは、原理・原則です。明治以降の「天皇という名を利用した官僚政府」にあるのではありません。

 主権者を天皇から国民への大転回をはたしてから70年経ちますが、いまだに、政府や官邸の意思を、国の意思だと言う!!!????もう、これは、低脳か詐欺のどちらでしかありません。「上官の命令は国イコール天皇の命令である」という戦前思想は終わったのではないのでしょうか。

 きちんと言葉を使わないで、政府・官邸の意思や官僚組織の都合のことを「国」と呼んだのでは、政府批判も官僚批判もできなくなります。「おい、お前、【国】に逆らう気かなのか!」(これは、自民党の桜田衆議院議員が、我孫子の一市民にみなの前で言った言葉です)。

 国という言葉には、大きく3つの意味があります。わざとごちゃ混ぜにして、政府の方針への批判をしにくくする詐術はもういい加減にやめなければいけません。
国の主人公は、わたしでありあなたです。国は、わたしとあなたの意思とお金を出し合ってつくるものです(それが「社会契約」の意味本質)。わたしとあなた=公共の意思とは別に国家権力があり、公共の意思に逆らう国家権力がある、というのならば、言うまでもなくその権力は正当性を持ちません。

それにしても、ある特定の考え方や政策を、「国」の方針だと言い、まるで、国という生物あるいは物体が存在するかのように錯覚させるというのは、北朝鮮も真っ青な恐るべき詐術というほかありません。

  マスコミ関係者や官僚政府のみなさん、これからもまだ詐欺の言葉を使い続けるのですか? もし良心があるなら、変えなさい。


武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室・客員=日本国憲法の哲学的土台を講義)


 
☆簡潔なまとめを記します。

  主権者を人民(民衆・民・市民・国民)とする社会を民主政社会とよびますが、民主政社会における国(国家)とは、主権者であるあなたやわたしの意思(これを「一般意思」といいます)により、つくるシステム(制度・組織・体系・体制)のことであり、それ以外ではありません。...

 政治レベルで話題となる「国」または「国家」というのは、自立した一人ひとりの考え(一般意思)とお金(税金)によりつくるシステムのことです。国という実体がどこかにあるのではなく、国とはシステムのことで、それ以外ではありません。

 政治レベルの話とは異なる、言語とか歴史とか生活習慣という意味での国は、ネーションであり、それは文化的レベルでの話です。また、故郷という意味での国は、カントリーで、気候風土など自然レベルの話です。

 政治レベルにおては、責任の所在を明確にすることが何より重要ですから、きちんと、政府は、官邸は、○○省では、と言わなくてはいけないのです。国は、という曖昧な言い方は、騙しの言語にしかなりませんし、問題の所在を不分明にする詐術になります。それは犯罪行為とさえ言えます。心しましょう。

 政治レベルの話でしかないもの=国のありようについての特定の見方や主張や解釈に、文化や風土レベルの話ダブらせて、まるで日本という実体(物)が存在するかのように思わせるというのは、極めて悪質な占脳ー染脳です。それにより、人々の自由な意識を縛り、特定のニッポン主義の思想に気づかれぬように誘導するわけです。

 これは、明治の維新政府以来続く日本の悪しき「伝統」で、国体思想とよびますが、まさにシステムを実体化させてしまうのですから、「国体」です。政治的なレベルの国(政府の思想)が、体になり固定化されて惰性態となるのです。個々人の自由を元から奪う恐ろしい思想です。


武田康弘

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日本政府死ね! は、日本人みなの心の声です。

2016-03-13 | 社会批評




震災ー原発事故から5年、

歴代保守政権=原発村(利権の構造ー甘い汁)による原発大推進政策の見事なまでの成果が、前代未聞の原発爆発事故ー未曾有の放射能の流出と今も続く垂れ流しです。

海外から見れば、事故処理をしないに等しい日本政府と、原発オーライという政策のあまりのバカバカしさに、悲劇を通り越して喜劇としか見えないはずです。低能の集まり=ニッポン人。

福祉はなし、海外には安倍のバラマキ、米軍には安倍のヘツライ、国内には企業との安倍のネンチャク、僕んちは、お金あるからね~~。でも、自腹じゃなくて、みんなの税金使うんだよ、僕の好きなようにね~~。

「日本死ね!」が共感され、リアリティをもつのは当然の話。

違憲の法案をつくり、武器輸出をし、戦後の国是をひっくり返すことをよろこびとするイカレタ権力者が白昼堂々と歩くニッポンーそれを許す底なしの奴隷根性のテレビ人。

だから、震災ー原発事故を利用されて、逆にもうとっくに終わっている戦前回帰=「1億総〇〇」になるのです。株価を政府が釣り上げる危険な行為を是とするのは、【スケベ根性】にドップリつかる人々のおかげ。

みんなでわたれば、みんなでせきにん、みんななかよく、みんないっしょ、みんなにっぽんじん、みんなちからをあわせ、みんなほしゅ、ほしゅ、ほしゅ。はい、みんなでおわりましょう~~~(でも、お金持ちと権力者は大丈夫ですよー安倍のミクス~~)。

わたしは、みんないっしょ、ではなく、「私」として「個人」として生きます。

実は、みなが「個人」としての誇りと独自性をもち、権力にへつらわず、自由と責任で生きる覚悟をすると、安倍のなんとかかんとかという下品でおバカで危険で非人間的な「おめでたいニッポンチャチャチャ」(バカ丸出しの一億みんな一緒病)は消滅します。わが日本人は【スケベ根性】からの脱却を成し遂げましょう!!えっ、無理ですって?それではほんとに終わってしまいます。


武田康弘

(注)

こ誤解された方がいますので、説明します。

【すけべ根性】とは、
善美への憧れや真実を求める気持ちなしに、あるいは、努力することなしに、欲しいものを我が物にしようとする心のことです。
また、他者の成果を盗んで、得をとろう=我が物とする心とも言えます。...
漁夫の利を得る、ということわざがありますが、【すけべ心】で生きている人は、善も美もなく、狡知(頭はよく欲深)で、心身からイヤラシサが滲み出ています。

誤解された方は、性の問題(「男はスケベ」)と見たようですが、性欲は、スケベと言う意味ではありません。食欲がある、食欲が出てきた、というのはプラス価値ですが、それと同じで、性欲は、健康な証拠ですから、非難されることではありません。性への関心は人間性への関心と重なるもので、プラス価値です。

「すけべ根性」をあえて性のレベルで言えば、相手の心身の「よさ」から生じる美質に惹きつけられる心なしに、女性をただ「女」としてだけ見、遇するような心でしょうか。逆も言えますが。

 

 

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