まっすぐな自我と官僚的学校との衝突、痛快なアクション小説の「坊ちゃん」(夏目漱石)
社会的差別との闘い、実存的苦悩を抱えつつ乗り越える不退転の自我を描いた「破戒」(島崎藤村)
純粋な恋愛と社会通念による抑圧、個人の善美の実現の困難さをせつなく甘美に教える「野菊の墓」(伊藤左千夫)
明治政府がつくった天皇制という空しい思想と直哉の正直な自我、個人が消去される天皇主義のおぞましさを極めて率直に現した「天皇ノート」(志賀直哉)
すべて、近代の個人意識、自我の覚醒を軸としていますが、みな1906年=明治39年に出され(書かれ)たものです。現今の安倍内閣による教育改革、個人や自我の抑圧の思想=「教育勅語」称賛、愛国心教育への取り組みを見ると、明治の文豪たちが現した優れた思想との違いに驚きます。
アナクロニズムという以上に、退化してゆく愚かな精神を目の当たりにして、わたしは、日本という国の劣化、精神的退廃を深く感じざるを得ません。
ああ、110年前の文学者たちの輝かしい自我=個人は、この4年後には「大逆事件」=天皇制国家主義による怖ろしい弾圧がはじまり、冬の時代となりました。歴史は繰り返すで、再び、冬の時代=愛国主義で市民的自由が侵される時代へ、は冗談じゃないですよね。今度はわれわれ個人が国家主義に負けられません。子どもたちの自由を官府から守らないといけませんね。ぜひ、公共的(=市民的)連帯、みなで共に!
※この大逆事件(無実の幸徳秋水らが一日裁判で、即刻死刑)による冬の時代の始まりの年、1910年に、個性と個人の自由を謳う同人誌「白樺」が発刊され、柳宗悦、兼子は、保守政府と対峙し、朝鮮人との太い民間交流も成し遂げます。学習院の反逆児たちによる思想、宗教、教育、文学、美術、音楽の文化運動は、日本の人間復興(ルネサンス)となり、白樺山脈と言われるほどになったのです。彼らの【個人主義】は、その後、今日まで日本では右と左の全体主義・権威主義のために実現しませんでしたので、いまとても新鮮、未来を拓く思想です。
21世紀の白樺派は、「恋知」の生を広める運動が軸ですが、それは言葉の正しい意味での「個人主義」とも言えます。
武田康弘