思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

忠臣蔵、忠犬ハチ公、忠義、「忠」こそ最高の道徳である(東大名誉教授・小堀桂一郎)。アメリカの忠犬〇〇公

2017-02-26 | 教育

 「忠」とは君主に仕える道徳、というのが国語辞書よる定義です。いわゆる家来、臣民など支配される側の人々の、主人、目上の者に対する忠義の心と態度の純粋なるさまのことを言います。

 日本人として生まれたからには、一般的、抽象的な「人間」の道徳ではなく、ニッポン人という自覚と誇りをもたなければいけません。それが「忠」という道徳ですーーこれは、自民党安倍派や彼ら全員が所属する「日本会議」の主張=思想です。

 彼らが称揚する「教育勅語」の基本思想は、君主(上位者)に従う臣民の道徳を謳ったものですので、「我が臣民、よく忠によく孝に、億兆心一にして」と言われます。

  以下は、靖国神社の理論的重鎮で、東京大学名誉教授の小堀桂一郎よる「」の解説です。

「靖国神社の本殿はあくまで、当時の官軍、つまり新政府の為に命を落とした人たちをおまつりするお社である、という考え方で出発したのでして、それは非常に意味のあることだと思うのです。
 そこには「忠義」という徳が国家経営の大本として据えられているという日本特有の事情があるのです。・・・

 「」とはどういうことかと言いますと、現代語に翻訳すれば「公」と「私」の関係でして、「私」というものを「公」に捧げて、遂には命までも捧げて「公」を守るという精神、これが「忠」の意味です。これは、実は支那の儒教にはない精神なんですね。

 この「忠」の精神こそが、西洋列教が日本を圧迫するという非常に厳しい国際環境の中にあって、日本を立派に近代国家たらしめた精神的エネルギー、その原動力に当たるものだろうと思います。ですから、「私」というものを「公」のために捧げて働き、遂に命までも捧げて「公」を守る、この精神を大切にするということは少しも見当違いではない。
 その意味で、靖国神社の御祭神は、国家的な立場から考えますと、やはり天皇のために忠義をつくして斃れた人々の霊であるということでよいと思います。」

 「忠」という道徳は、「民主政」とその内容である「人権」の思想とは相いれないことがよく分かります。主権者を国民(人民)として、主権者の意思で国をつくるという民主政の原理とは二律背反です。

 民主的倫理とは水と油である「忠」という臣民道徳を、主権者を国民とする民主政国家で教えることは根源的な倫理違反となり、許容されません。この当然の前提さえ踏まえないで政治や教育を行うのは、認識が甘いというレベルではなく、知的ないし精神的退廃そのものです。

 まず、こういう基本をしっかり認識しないと、「はじめの一歩」が歩みだせないのです。


武田康弘

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安部首相夫妻の「森友学園」への深い関与は、テレビ東京の独占映像に明白です。

2017-02-26 | 社会批評

2月17日のテレビ東京の独占映像は、安部首相夫妻が「森友学園」と深いつながりがあることを証明しています。

その思想的罪は、計り知れないもので、もしドイツならば、夫妻は、以後公職につくことができません。

認識が甘いどころではなく、知的退廃そのものです


武田康弘(元 参議院行政監視委員会調査室・客員調査員)

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