みなが、或る宗教儀礼を大事だと思うわけではありません。
仰々しい儀式が好きな人もいるでしょうが、嫌いな人もいます。
一律に天皇の行事は国民の行事だとにして、皆を従わせる思想はおそろしいと思います。日本国籍の人は、みなが天皇行事を大事にしなければいけない、というのなら、思想信条の自由はなく、宗教の自由もないことになります。
憲法で、きちんと保障している個人の自由を認めないようなテレビのコメンテーターや司会者の発言には、背筋が寒くなります。
いまの天皇制をそのまま認めることが日本国民の要件のような発言ー思想は、ソフト化されてはいますが、明治政府がつくった戦前の天皇絶対思想と同じです。恐ろしい限りです。
ある大学生は、「おれを巻き込まないでくれ」「自分たちでやってほしい」と悲鳴を上げていましたが、その通りで、みな一人の人間であり、各人が「よい」(善美)と思う基準と事象は異なります。
一人ひとりの自由な考え・想いを尊重しない社会では困りますし、危険です。
それぞれの自由意思を互いに尊重し合うという原則は、現代社会では絶対的なものであり、ブッダ(釈迦)が強調したように、人間はほんらい平等なのですからね。
武田康弘