キツク言われることがしばしばです。
日本人にはpersonality(人格)がない。だから、わたしとわたし、個人と個人としての「対話」ができず、ほとほと参ると。
一人の人間としての精神の自立がないのです。
これは、保守派や改革派、右翼や左翼という政治的思想とは関係なく、どちらも各仲間、各グループ内で同調して、異分子を排除(無視)します。
一人の「わたし」が、という覚悟がないので、【グループ 内 わたし】 でしかなく、その依存症から抜けられません。
家族、学校、会社、国家などの中に埋没してしまう「わたし」しかいないのです。精神の自立ができない脆弱な「わたし」に過ぎないので、家族も学校も会社も国家も中身がよくなり前進することもありません。
あるのは、わがままだけ、ベタッとした即自的自己の肯定感だけ、 そういう精神の自立ができないわたしが寄り集まって、「天皇陛下万歳!のヒステリー国家主義」を進めてきたわけですが、今の天皇や皇后は、そういうバカバカしい超国家主義=ニッポン主義にうんざりし、幾度も否定しているのです。
ニッポンには、とっても優秀な技術者がいる。とっても勉強のできる暗記マンがいる。そうですね。いるのは、研究者であり、教師であり、技術者であり、営業マンであり、僧侶であり、主婦であり、・・・・でも、一つの精神世界をもつ自立した人間ではないのです。人間がいない!!
飼い主にだけ忠実で、飼い主の言うことだけを聞き、というのは、犬などの動物ならそれでよいでしょうが、人間は人間であって、犬ではないのですから、精神の自立をつくり育てなくては、です。
日本人もまず何よりも人間であるはずで、人間=人類であるより前に日本人であると宣言する「安倍派の戦前回帰思想」に戻ったのでは、もう言葉もありません。人間としての不幸の極みです。
武田康弘