思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

シューベルト 死と乙女(弦楽合奏版)他ーコパチンスカヤ+セントポール室内管弦楽団 輝く生命感ーカタルシス

2018-12-07 | 芸術

シューベルト 死と乙女(弦楽合奏版)ほか
パトリツィア・コパチンスカヤ(ヴァイオリン&指揮)セントポール室内管弦楽団 を聴きました。


 死にまつわる他の作品と融合させての演奏は、再現芸術の革命で創造性に富むもの、かつて体験したことのない「死と乙女」です。コパチンスカヤの死への面接には、苦悩や陰鬱はなく、逆に輝く生を感じさせ、強烈なまでの生命感に溢れています。素晴らしい演奏で、繰り返し聴いています。既成概念に囚われた既成文化を吹き飛ばすパワーは、実に心地よく、元気が湧き出ます。まさにカタルシス。これこそほんものの芸術です。


1. ネルミガー:死の舞踏 (1598)
2. 作者不詳/コパチンスカヤ編:詩篇第140篇『ビザンティン聖歌』(ヴァイオリンと弦楽による)
3. シューベルト:弦楽四重奏曲第14番ニ短調 D.810『死と乙女』第1楽章
4. ダウランド:パヴァーン『古い涙と新しい涙』(『ラクリメ』より)
5. シューベルト:弦楽四重奏曲第14番ニ短調 D.810『死と乙女』第2楽章
6. ジェズアルド:マドリガーレ『わたしは死ぬ、ああ、わが苦悩』
7. シューベルト:弦楽四重奏曲第14番ニ短調 D.810『死と乙女』第3楽章
8. クルターグ:リガトゥーラ~フランセス=マリアへの言伝(『答えのあった答えのない問い』 Op.31b)
9. クルターグ:ヴァイオリン独奏のための『休みなく』(『カフカ断章』 Op.24より)
10. シューベルト:弦楽四重奏曲第14番ニ短調 D.810『死と乙女』第4楽章


 録音 2015年3月27-29日
 ミネソタ州セントポール、オードウェイ音楽堂 ライヴ

 

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小澤征爾くん、君も丸くなったね。    斎藤秀雄

2018-12-06 | 芸術

 ' わたしは、君にほとんどマンツーマンで(直純くんなどもいたが)わたしの考案した指揮法を伝授したが、よくそれをマスターし、「まだ第九を教えていないからダメだ!」と言って、君を引き留めたが、君は、貨物船に乗って(富士重工から借りたスクーターを積んで)フランスに渡ったね。

 まったく無名の君は、音楽大学を出ていない(わたしが桐朋大学の一室を間借りしてつくった短大など誰も知らなかった)というのでパリの日本大使館では相手にしてもらえず、アメリカ大使館に飛び込んで、「ブザンソン指揮者コンクール」を受けることができたのだよね。その当時、世界で唯一の指揮者コンクールだったが、誰一人として知らないアジアの若者である君が優勝したのにはほんとうに驚き喜んだ。審査員たちの公平さに感謝もしたよ。それはわたしの指揮の教則が本場の欧州で認められたことでもあった(わたしは密かに自負の念を持っていたが、震えたよ)。

 それからしばらくして帰国してN響(NHK交響楽団)の指揮者となったが、楽員と衝突し、君のいうことは聞けないと、演奏会当日に団員が誰も来ないという大事件(N響事件)が起きたときには、わたしは自分の経験と重なり、やはり、と思った。わたしは、N響の前身の新響のチェリストであり、指揮もしていたわけだが、音楽のイデーを明晰にしようとするわたしの言動に対して、団員が否!となり追いだされたのだった。子弟で同じ目にあったわけだ。日本では、法則とかイデーとかは嫌われるのだよ。うん、しかし、あのとき新響をやめていなければ、すべて無かったこと!

 日本からの二度目の旅立ち(追いだされたという方が正確だが)の後の活躍には目を見張るものがあり、毎日早朝からの学習を欠かさない君の努力が実を結び、トロント、サンフランシスコ、ついにはボストンの常任指揮者にまでなったが、相変わらすNHKは君の活躍をほとんど伝えず、「世界で有名、日本では無名」の状態が長く続いたものだ。安永徹くんもベルリンフィルで活躍し、コンサートマスターになったのも嬉しかったが、もうそのころからは、世界中で教え子たちが活躍しだし、教師冥利に尽きたな。

 さすがにウィーンの国立歌劇場の音楽監督になり、ウィーンフィルのトップ指揮者になるとは予想もできず、そうなると、もうNHKも無視するわけにはいかず、小澤、OZAWAで、音楽好き以外の多くの日本人にも知られる有名人になったわけだが、その活躍は、わたしは天国から見ることしかできなかった。斎藤キネン→サイトウキネンのオケをつくって皆が集まり、見事な合奏を世界中で披露しているのも、嬉しい限りで、感謝だ。
 秋山君も東響を世界に通用する見事なオケにしてくれた(ジョナサン・ノットという強いイデーを持った助太刀もありがたい)。

 もうあげればキリがないので、やめるが、一つ、話しておきたい事がある。

 それは、君のつくる音楽は、音楽のイデーが弱いことだ。オペラなどは何も教えていなかった(わたし自身がよく知らなかった)のに、それを克服した努力には頭が下がるが、それはそれ。いま、わたしが言いたいのは、楽曲の理念、作曲家の思想(言葉ではなく、音楽でしか伝えられない想い)が希薄で、個々の音の美しさ、見事な音響を生みだすことが音楽の中心となり、作曲者の理念が弱まることだ。それでは聴衆を酔わせることはできるが、楽曲の核心を伝えることにはならないのだよ。

 一つ例をあげれば、シュスタコーヴィチの5番「革命」の演奏だ。これを聴くと、彼が曲にこめた複雑な想いへの共感がなく、上手で見事な音響があるので、この曲の真価=意味=姿はボヤケて見えなくなるのだ。だから、感動は、精神ではなく神経と肉体にのみやってくるという結果を招いているよ。この演奏は大評判になったようだが、それは聴衆におもねて、曲の真髄を明らかにするのではなく、音響の美しさや迫力による演奏をしたからだ。彼の息子のマキシム・シュスタコーヴィチなどは、逆に楽曲の意味を明白にした演奏なので、心身の奥深くから強烈な感動がやってくるのだよ。

 苦言を呈してしまい、申し訳ないが、死の瞬間まで丸くならずにいてほしい、というのがわたしの勝手な願いなので書いた。許してほしい。かって、「カラヤンなにくそと思った」と著書(「ぼくの音楽武者修行」)に書いたその言葉を、今は消してしまったようだが、それはいけないよ。モーツァルト(わたしは39番が好きだった)もベートーヴェンも君が得意にしていたベルリオーズもみな革命家で、最期まで丸くなるどころか、ますます尖がって深く大きくなったのだからね。

 
   天国から失礼  斎藤秀雄 


(すべて武田による創作ですが、事実関係に誤りはないと思います。私は小澤ファンを1960年代から続けてきましたので、よく記憶しています)

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徴用工問題=政府と政府の約束事は、個人の人権(請求権)を奪えないーーこの常識さえ弁えないわが日本は、ほんとうに情けない。

2018-12-03 | 社会批評

個人が会社を訴える(損害賠償を求めるなど)ことに対して、どこの国の政府であれ、それを否定することは不可能です。

あまりにも当然のことで、言う必要もないのですが、なぜ、政府やマスコミは、人権思想(国連で1948年に採決された「世界人権宣言」)の基本が分からないのでしょうか。

徴用工に対する政府コメントとマスコミの伝え方には、唖然とするほかありません。愚かも度がすぎます。

政府=国家権力は、個人の人権を奪うことができません。これは民主国の常識です。

武田康弘

コメント (4)
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