★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

誰も知らぬ

2010-10-04 20:13:03 | 文学
「ええ、わかって居ります。あいつら二人をぶん殴って、それで一緒にさせるのですね。」
 兄さんはそう言って屈託なく笑って帰りましたけれど、私は勝手口に立ったままぼんやり見送り、それからお部屋へ引返して、母の物問いたげな顔にも気づかぬふりして、静かに坐り、縫いかけの袖を二針三針すすめました。また、そっと立って、廊下へ出て小走りに走り、勝手口に出て下駄をつっかけ、それからは、なりもふりもかまわず走りました。どういう気持であったのでしょう。私は未だにわかりません。あの兄さんに追いついて、死ぬまで離れまい、と覚悟していたのでした。芹川さんの事件なぞてんで問題でなかったのです、ただ、兄さんに、もいちど逢いたい、どんなことでもする、兄さんと二人なら、どこへでも行く、私をこのまま連れていって逃げて下さい、私をめちゃめちゃにして下さいと私ひとりの思いだけが、その夜ばかり、唐突に燃え上って、私は、暗い小路小路を、犬のように黙って走って、ときどき躓いてはよろけ、前を掻き合せてはまた無言で走りつづけ涙が湧いて出て、いま思うと、なんだか地獄の底のような気持でございます。市ヶ谷見附の市電の停留場にたどりついたときは、ほとんど呼吸ができないくらいに、からだが苦しく眼の先がもやもや暗くて、きっとあれは気を失う一歩手前の状態だったのでございましょう。停留場には人影ひとつ無かったのでした。たったいま、電車が通過した跡の様子でございました。私は最後の一つの念願として、兄さあん! とできるだけの声を絞って呼んでみました。



今日は、公開授業を見に行き、ゼミで太宰治の「誰も知らぬ」とかを読んだ、そんな程度の一日であった。しかし頭がよく働かない。というわけで、「誰も知らぬ」のクライマックスを書写する。

太宰版「卍」といったような話だが(違うか……)、半端に安定している階層の女性の独白を書かせたらこの作者ほどうまい奴はあまりいないのではなかろうか。私は上記のような言葉遣いとかが、渡辺淳一とかさまざなま恋愛小説家に影響を与えたように思えてならないが、太宰のテーマはかならずしも恋愛ではない。

そういえば、後期は恋愛小説の講義をしなければならないのだが、テキストは「恋するための文学」という本である。――何回読んでも、失恋の方が大事としか思えなかった。

まあ、いずれにせよ、太宰の小説は、本文を簡潔に要約するのが好きな、何かというと構成がどうたらこうたらいうだけの国語の教師には手に余る。私もいつも途方に暮れる。