★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

六月学会漫遊記

2012-06-26 22:16:09 | 文学
23日のことである。学会に出席するためエレンスト展を目当てに東京にやてきたのである。

東京メトロの駅で早稲田最寄りに降りたら、あれ?早稲田がない。早稲田通り周辺を迷ってやっとみつけた。



♪都の西北早稲田の森に
聳ゆる甍はわれらが母校
われらが日ごろの抱負を知るや
進取の精神 学の独立←素晴らしすぎる。それを守って頂きましょうか。

現世を忘れぬ←自然主義万歳
久遠の理想
かがやくわれらが 行手を見よや←どこに向かっているかまず教えてほすい

わせだっ わせだっ わせだっ わせd(ゴホゴホゴホッ

2時に始まるというのに、10分前でもあんまり人来てないな……と思ったら、遅れてぞろぞろ。学会ってこんなに時間にルーズだったか?

4人の発表を聞く。内容はあとで勉強し直して考えてみよう……。まあ、過去に学会発表して派手に轟沈したわたくしが言うのもなんであるが、ソフトランディングしようという発表が多い今日この頃である。肝心なところを隠蔽したまま誰かさんが喜びそうな結論に達しても却って研究は遅れてしまう。研究の内実より「どう見えるか」や処世を優先している研究と、そうでないものを見分けるのが、研究者養成をやっている大学教員のつとめであるが、現状はどうであろうか。少なくとも、学会は専門的な話をする場所であるべきだから、予習をし忘れたゼミ担当教員みたいな質問はしない方がよいのではないかとわたくしは思うのであるが……。研究が、端から見ているよりテキストの意外なところに陥穽がひらいているおそろしいものであることは誰もが知っていることではなかろうか。だいたい論文において後々(最近は「かなり後」になるのが問題なのであるが……)問題になるのは、観念的な論の枠組みではなく、テキストの読みの問題であるからして……。テキストを前にすれば我々にかっこつけている閑はなくなるというこっちゃ。わたくしなども、過去のスカした論文の題名といい内容といい恥ずかしいにも程がある。しかし世の中には、もっとスカした連中もいるからわたくしも安心はしていられない。