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一年半京都に住んで、本郷へ戻つてみると、街路樹の美しさが、まつさきに分つた。京都は三方緑の山にかこまれてゐるが、市街の樹木を殆ど思ひ出すことができないのである。多分、街路樹も、なかつたのだらう。
本郷へ戻つてきて、まづ友達とUSで昼食をとつた。戸口を通して、街路樹が見えるのである。それだけのことが、すでに甚だ新鮮だつた。キャフェのテラスが家庭の延長のやうなパリジャンにとつて、常にマロニエが忘れ得ぬ友達であるのは、当然だと思つた。街路樹は青春を思はせる。京都の街が死んでゐるのは、街路樹の少いせゐもあるだらう。
――坂口安吾「本郷の並木道」