
S夫人の白隠伝は、こののんきな嗟嘆の声で終っている。私はこの草稿を読んでから、あまりに健康で常識円満な女性は却って奇蹟とか神秘にあこがれる一面があるものだと教えられて、あらためて、S夫人を見返してみた。夫人は白昼の牡丹のように晴々し過ぎて、何か花の影をつける必要から幽隠な気を求めているように見えた。
S夫人と、夫人の記した聖者伝に就き、こんなことを考えているうち、ふと気がつくと、富士と人間との間のその魅惑は、今度は私に取り憑いている。しまった、読むべからざるものを読んだ。けれども、もう仕方がない。
――岡本かの子「宝永噴火」