★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

エイリアン讃

2014-01-07 02:14:50 | 映画


昨日、深夜映画で「エイリアン」(1979)がやってたんだけど、全く古びてない恐ろしさにびっくり。フェミニズムやらなにやらで分析しつくされた映画であろうが……、やっぱり芸術だなあ、絵の動きとか音楽のテンポとかが。デザインのギーガーと音楽のジェリー・ゴールドスミスの組み合わせも今考えてみたら最強ではないか。化け物映画は、ゴジラにしろ何にしろ、化け物の動き方がちょっとでも駄目だともう終わりなのであろう。だいたい、最近の化け物はぴょんぴょん跳ね回りすぎなんだよ。うさちゃんじゃあるまいし。この映画のエイリアンだけは、その動きの演技が神がかかっている。精神分析やフェミニズム批評からすれば、神がかっているというより、性器がかっているというべきであろうが……。

というわけで、明日の埴谷雄高の話でも、「エイリアン」を使ってやることにしました。