
やっぱり、アリストテレスであろうとプラトンであろうと、つまりゴールの位置を動かすか、ボールの当たったところをゴールとするかの違いはあっても、みんなで協力して弁証するギリシャに対して、日本はどうかと言えば、もっと幕の内弁当みたいな静的なものが好きなのである。ギリシャのサッカーは、こんなところだろう。
デモクリトスの空虚パス→エピクロスの快楽パス→アレクサンドロス3世の権力ロングパス→ソクラテスが懐疑的にラインぎりぎりにボールを転がす→プラトンがすかさずイデアシュート→外れる→アリステレスが敵を弁論で煙に巻いているうちにこぼれたボールが来たので、振り向きざまトピカシュート→ゴール→解説のカントが五時間解説
という感じであろうが、日本の場合は……
西周のサッカーの方法啓蒙→夏目漱石の個人主義的ドリブル→森鷗外が客席の踊り子をナンパ→岩野泡鳴が、チケット売り場のギャルと耽溺→西田幾多郎の矛盾的自己同一的トラップに見ほれる田邊元が愛と懺悔ロングパス→大杉栄がそれを受けてドリブルするがボールに爆弾を仕込んだ容疑でレッドカード退場→小林秀雄が様々なるボールをピッチに放り込んだので審判激怒→花田清輝が対立するボールを対立のまま統一しようとしているので、吉本隆明が適当なボールを客席の大衆に向かって幻想的シュート→柄谷行人が敵の外国人を味方に招き入れてトランスクリティカル交通シュート→外れる→浅田彰がクラインの壺にはまって転倒しているのを横目に、東浩紀が手に持っていたフィギアでボールを受けてしまいハンド→アリストテレスによるPKシュートが決まる→解説の安倍首相が絆を説く
ギリシャ 2ー0 日本