高峰秀子様の『私のインタヴュー』は、いろんな職業の人たちと秀子様がおしゃべりする本であるが、最後に「日本を碧い眼で見る」という座談会がある。そこで、秀子様に負けず毒舌な人が一人混じっているので誰だと思ったら、武谷ピニロピさんであった。武谷三男のパートナーだった人である。たしかまだご存命のはずである。
高峰 […]昔は日本人だったら終生自分を養ってくれればいいという気持ちが強いですから。どうしても子どもに甘いんですね。
ピニロピ そうです、甘いです。馬鹿可愛がりで、当人のためにならないですね。それがとくに田舎に行くとひどいですね。年寄りは子供の言うなりです。
[…]
ピニロピ「[…]でも、現在は学校教育である程度親たちのそういうヘマを直してもらえるから、子どもたちもたすかるような気がしますね。
こんな調子である。この座談会の結論は、日本人の男が家事をやらんのは単に体面の問題であるということ。それに子供を甘やかすのは、親や親戚が得をしようとしているだけであるということ。要するに、日本人は別に「助け合って」いるのではなく、世間や自分につくす誰かに対して寄りかかっているのであり、今風に言えば、都合のいい相手に対するハラスメントであるということであろう。高峰秀子は、それを思想ではなく日本の貧しさに求めていたが、さすがである。最近の絆主義がファシズムなのは、当然である。貧困を誰かに対するハラスメントで暴力的に当てこすって解決しようとしてるんで……。ヒューマニスティックなフェミニズムでは太刀打ちできなかったわけだ。おそらくヘイトスピーチやらなにやらも根本的にプロテストではなく当てこすりなのである。問題の本丸や憎い相手と対面してないからどの程度の暴力がいいかという感覚が働かない。だから過剰に暴力的になる。ある大学教授をやめさせないとその大学の学生をやってしまうぞ、という脅迫が複数の大学であったらしい。テロじみているのに、なんと回りくどい……。
と思っていたら、もう一人の大学教授が辞めちゃったそうである。辞表を受理した大学当局は恥を知れ。
……それにしても、ピニロピさんの論法で行くと、学校教育が機能していなかった時代、つまり上の「田舎」状態であった日本人はとにかく甘ったれでどうしようもない感じだったということになりそうであるが、確かにそうだったのかも知れないのである。学校教育批判が反近代主義にスライドしがちな現在、注意すべき点かもしれない。
スコットランドや沖縄や吉里吉里国や四国が独立するのは結構であるが、依然として問題なのは、上のような諸々の問題である。