安保とハイデガーに紛れていたが、ドラマの「ど根性ガエル」も終了していた。
もともと平面ガエルなどありえんので、ぴょん吉が見えて会話できる人びとは、つまり登場人物たちや読者たちは、もう現実ではなく別の世界に住んでいるといってよいのである。(確か、昔のアニメで、ぴょん吉がシャツにくっついた当初、かあちゃんにはそれがみえない、という場面があったと記憶する)ぴょん吉が剥がれた第九回で、みんな目がさめてもよさそうなものであるが、特にひろしは幼少の頃より絵本のなかの物語を終わらせたくないような人だったらしい。彼は孤独ではなく、かれだけではなく他の人たちもぴょん吉がいる世界に感染してきていたので、とにかく物語の最初のシュチュエーションにもどれば、また物語が再開できるはずだと確信して、実際にやってみたら、本当にまたぴょん吉がシャツに張り付いたのである。かあちゃんが言うように、自分がこの世界には必要ではないと思ったのでぴょん吉は剥がれてしまったにすぎなかった。この物語はもともとフィクションなので、世界を続ける意志によってどうとでもなるというわけである。
今回出現した、ひろしにそっくりのひろし2号は、たぶん現実のひろしである。(かあちゃんも、ぴょん吉に出会わなかったひろしだと言っている)かれが、間違ってゴリラ芋に投げられることによってぴょん吉の依り代となるのはおもしろかった。ぴょん吉の復活には、フィクション上のひろしではなく現実のひろしが必要なのである。つまり、この話は、現実と直接につながっているのであり、現実からのつながりがなければ、起動もしない物語なのである。
ただ、ひろしは未熟な三〇歳であり、これからも、他人に依存しすぎている自分の人生に懐疑をもつので、ぴょん吉から離れる可能性がある。最後に、かあちゃんにピンクのかえるが張り付く(ぴょん子ちゃんか?)のは、この物語が続くためには、ひろし以上にぴょん吉の事が好きだったらしい、かあちゃんが必要だったのである。もう人生に迷わないかあちゃんのもとでなら、絶対にぴょん子ちゃんは剥がれない。
これは明らかに、夢物語の提供ではなく、現実を夢物語で征服しようとする挑戦である。ゴリラ芋がひろし(ぴょん吉)の援護によって選挙に打って出るのはその象徴的なエピソードである。京子ちゃんも言っていたように「今の世の中に必要なのは根性」(最初、この物語世界から一番遠ざかっていたはずの出戻りの京子ちゃんがついにぴょん吉と同一化する瞬間である。つまりひろしと今後くっつく可能性は高い)であって、その根性によって夢物語は現実を征服できる、という訳であろう。現実のひろし2号は、動かない生死不明の蛇を背負った――蛇に追いかけられるカエルのような動きをする人物であった。かれは「人間」のようには見えない。我々の日常のように非人間的だ。それを仲間と根性の――カエルすらも「人間」になったところの物語にそっくり替えてしまおうというのだ。登場人物たちが協働してその物語を擁護した、それがなかなか今時のドラマであった。
結論:満島ひかり、一人で最高