1946年の映画。天使は、もともとがんばってる人じゃなくてもっと救わなきゃいけない人のところに現れなよ……あと、弟が戦地で死んだ場合はどうなるのだ?とか、いろいろと本質的な批判が必要な映画であるが、不幸がそのまま幸福に反転するクライマックスの盛り上げ方は交響曲のフィナーレのようである。
がんばって他人のために生きていれば、少しは世の中が違っている、客観的にどれだけ違っているかはわからないが、その人にとって全然違う輝きを持つのだという――自分か他人か、利己的か滅私奉公かみたいなところで右往左往している我が国とは、雲泥の差であり、ああやっぱり我々は大衆娯楽の哲学でも負けていたのだと思わせる映画である。
何が一億総活躍社会だよ、小学生のクラス目標かっ。うまくいかなかったらまた俺たちに懺悔させるつもりなんだろうな。ひどい。
映画「バベル」を思い出したが……、もうわれわれは、みんなつながっているから言葉が通じないのか、言葉が通じないにも関わらずつながりがあるのか、よくわからなくなっている訳であって、「一億総なんとか」、とかセンスがおかしいだけでなく、現実認識としてもレベルが低すぎるのである。