さっきまで、『世界文学』という、野間宏とか本野亨一とかが書いている敗戦直後の雑誌をみていて、伊吹武彦のまじめな編集後記を読んで本をひっくり返したところ、アドルムとゼドリンの広告が目に飛び込んできた。眠りにも覚醒にも薬が必要だったという、これが我々の生のあり方を象徴的に現している。
アドルムのコピーがすごい。かつて、我々は原子(爆弾の)力を借りてまで眠りたかったのだ。いまだって我々は同じような覚醒状態にある。
ベルリンのオリンピックでオリムポスの神殿の火を競技場までリレーするのは一つの発明で結構であるが、それ以来、やたらと日本の競技会で、なんでもいゝから、どこからか火を運ぶ。なにかを運んでリレーをしてからでないと、今もって日本の競技会はひらくことができないのである。海の彼方からは、赤旗の乱舞とスクラムとインターの合唱をやってみせないと気がすまないという宗教団体が船に乗って渡ってくる。
この競技会の主催者や日本海を渡ってくる宗教団体は、悪質な宗教中毒の親玉であり、ノリトやカシワデが国を亡したように、こんな宗教行事が国家的に行われるようになると国は又亡びる。国家的な集団発狂が近づいているのである。
美とは何ぞや、ということが分ると、精神病は相当抑えることができる。ノリトやカシワデや聖火リレーや天皇服やインターナショナルの合唱は、美ではないことが分るからである。しかし一方、狂人は自らの狂気を自覚しないところに致命的な欠点があるから、ここが非常にむつかしい。狂人には刃物を持たせないこと。最後にはこれだけしかない。権力とか毒薬とか刃物とかバクダンとか、すべて危険な物を持たせないことが、狂人を平和な隣人たらしめる唯一の方法なのである。
……やはり、問題は、このあとの東京オリンピックが大成功と誤認され続けていることにあるような気がする。我々の戦後はひたすら失敗ばかりだったのではないだろうか。
アドルムのコピーがすごい。かつて、我々は原子(爆弾の)力を借りてまで眠りたかったのだ。いまだって我々は同じような覚醒状態にある。
ベルリンのオリンピックでオリムポスの神殿の火を競技場までリレーするのは一つの発明で結構であるが、それ以来、やたらと日本の競技会で、なんでもいゝから、どこからか火を運ぶ。なにかを運んでリレーをしてからでないと、今もって日本の競技会はひらくことができないのである。海の彼方からは、赤旗の乱舞とスクラムとインターの合唱をやってみせないと気がすまないという宗教団体が船に乗って渡ってくる。
この競技会の主催者や日本海を渡ってくる宗教団体は、悪質な宗教中毒の親玉であり、ノリトやカシワデが国を亡したように、こんな宗教行事が国家的に行われるようになると国は又亡びる。国家的な集団発狂が近づいているのである。
美とは何ぞや、ということが分ると、精神病は相当抑えることができる。ノリトやカシワデや聖火リレーや天皇服やインターナショナルの合唱は、美ではないことが分るからである。しかし一方、狂人は自らの狂気を自覚しないところに致命的な欠点があるから、ここが非常にむつかしい。狂人には刃物を持たせないこと。最後にはこれだけしかない。権力とか毒薬とか刃物とかバクダンとか、すべて危険な物を持たせないことが、狂人を平和な隣人たらしめる唯一の方法なのである。
――坂口安吾「麻薬・自殺・宗教」
……やはり、問題は、このあとの東京オリンピックが大成功と誤認され続けていることにあるような気がする。我々の戦後はひたすら失敗ばかりだったのではないだろうか。