★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

観興寺を訪ねる(香川の寺社2)

2017-11-09 00:28:33 | 神社仏閣
観興寺を帰りがけに見て回る。ところで、この寺は「讃岐東讃七ヶ所霊場」の一つであるが、これは昭和九年に出来た霊場らしい。全国にどれだけあるの、こういうスタンプラリー的なあれは……





嘉永年間の燈籠などがあった。この寺には、市の有形文化財の阿弥陀如来像がある

https://www.city.takamatsu.kagawa.jp/13133.html
これ



「日限地蔵」……特定の日に参ると願いが叶う地蔵である。オフィスアワーを指定してくるとは、もはや帝大の教授なみにえらそうである。



社殿に向かって左奥には、不思議な人たちが……



「太閤権現」……仙石さんの上司がこんなところに



「第一番 本尊如意輪観世音 紀伊国 青岸渡寺」とあり。これも西国三十三所の一つですね。

 

よくみてみる。



左手には、緑がかかっている仏。


ああ、この案内を見落としていた。「当山西国三十三番霊場巡拝路」。ミニチュア霊場巡りがここで出来る仕掛けだったようである。晴れた日にいつかもう一回来てみよう。

この寺については、近所の桜町中学の資料がよくまとまっていた。さすが

http://k-kagawa.sakura.ne.jp/pdf/H28sakuramachi.pdf


どうやら、熊野宮でもふれた河野通直が仏像を背負ってここらにやってきたらしいのだ。(ホントカイナ……大将が背負うかいな……)で、(ここはウィキペディア情報で補足すると)重いので「ここへ捨てようとしたところ、」

繰り返す、

「ここへ捨てようとしたところ」


仏像が「ホウデン、ホウデン」と言ったそうなのである。

捨てる武将ありゃ、救いがたく錯乱する仏あり。

というわけで、ここに宝殿を建てて?祀ることにしたそうである。松平の時代には結構繁昌していたらしい。上の西国三十三所巡りをつくったのも江戸末期らしい。いまはどのような状態なのか不安だが、この資料だと、一応拝路を登っていけることになっている。ちなみに、この神社、いまは門も取り壊して工事中であります。