★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

東ハゼ地蔵を訪ねる(香川の地蔵22)

2017-11-30 20:14:31 | 神社仏閣


東ハゼ町。高松街道と一ノ宮街道の分岐点にある。ここらにも戦前は金比羅灯籠があったそうである。

 

水盤は昭和十年六月とあった。太宰治は前月、「道化の華」を『日本浪曼派』に掲載している。

「葉藏は、はるかに海を見おろした。すぐ足もとから三十丈もの斷崖になつてゐて、江の島が眞下に小さく見えた。ふかい朝霧の奧底に、海水がゆらゆらうごいてゐた。
 そして、否、それだけのことである。」


わたくしは水というものをみるたびに、このすごい末尾の文章を思い出す。



紙町の金比羅燈籠を訪ねる(香川の神社132)

2017-11-30 20:07:20 | 神社仏閣


紙町。一の宮・仏生山街道と金毘羅(高松)街道が分かれるあたりにある燈籠。天明七年。

案内板に曰く、

「この金毘羅燈籠の建立者は、一説によると内井家の先祖元山村傳八とあります。元山村より坂田の地(この附近一帯)に江戸時代中期のころ、移り住んできました。この傳八が傷を負った時、金毘羅さんにお祈りしたところたちまちに治りました。そこで謝意を表すために金毘羅燈籠を天明7年3月(1787年)に建てました。」


お祈りしたらなんだか治ってきた、というのは分かるな。わたくしも、「小児科行くか」と親に言われたらなんだか喘息がおさまってきたものである。金比羅が医者に変わっているだけなのかもしれない。