★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

院宣と勤皇

2019-10-02 23:21:32 | 文学


御簾高く巻き上げさせて兵衛佐殿出でられたり、布衣に立烏帽子なり、顔大きに背低かりけり、容貌優美にして言語分明なり、まづ子細を一事述べたり

頼朝登場である。「顔大きに背低かりけり、容貌優美にして言語分明なり」。つまり、パタリロみたいなやつですね。

抑も平家頼朝が威勢に恐れて都を落つ、その跡に木曾冠者十郎蔵人うち入りて我が高名顔に官加階を思ふ様に仕り剰へ国を嫌ひ申す条奇怪なり、また奥の秀衡が陸奥守に成り佐竹冠者が常陸守に成つてこれも頼朝が下知に従はず、急ぎ追討すべき院宣を賜ふべき

いまなら確実にアスペルガー認定をうけそうな自信です。平家が逃げたのも自分のせい(←そんな単純なわけないだろう)、木曽殿行家は自分のお手柄のように威張っている(←頼朝よりは手柄立ててるわい)、秀衡や佐竹が従いません(←誇り高き東北人がそんな簡単にパタリロに従うかっ)、――などと、言っておきながら、自分で勝手に動こうともせず、「院宣」「院宣」とうるさい限りです。

しかし、いつもながらこのような自信たっぷりな御仁には動物的なオーラがでているので、ついお使いの者も「やがてこれにて名簿をも参らせたうは候へども当時は御使の身で候へば罷り上つてやがて認めてこそ参らせめ、弟で候ふ史大夫重能もこの儀を申し候ふ」とガタガタと震えてしまうのであった。頼朝はたくさんのお土産を彼に渡す。あまりにたくさんすぎて、帰り道に、それを貧しいものに恵んでしまったりしたという。

今日、林房雄の「勤皇の心」という「近代の超克 知的協力会議」に提出された論文を読み直してみたが、林は勤皇を、――自然主義やプロレタリア文学みたいな(日本を忘れた)罪を負ったものに「禊せよ」という声を発するのが日本の神で、その前に跪くと、自分の体から「ほのぼのと葦芽のごとく芽生え出」てしまうもののように、捉えている。ここから贖罪のモメントを引き去ると三島由紀夫への道が仄見える次第であるが、――これは別に「勤皇」、つまり天皇じゃなくてもいいような気がするところが、所謂国粋主義者とは違っているのである。林自身も、純粋性の戦いを保つことができなくて敗北していった純文学の世界が、国籍不明者や泣き言専門家や御用専門の国策文学者を生むと言っているので、――即ち、彼にとっては、極端に反俗的であるための支えが勤皇なのである。

しかし、ある意味、普通の日本人はこんなにまじめくさっているのであろうか。林の言っていることは、イデオロギーとアイデンティティの問題を区別するような前提がないと理解できない。おそらく頼朝は、院宣があればいいですみたいな男なのであって、もっといい加減で滅茶苦茶なのである。

三島由紀夫などが、文化防衛論をとなえていたときも、三島は彼なりに日本の実体を捉えたという自信があっただろうが、その実体はもっとはじめから小さいのではないか。三島は、古文が体の中に入っている人間は自分の世代まで、と言っていたが、林の文章にもあったように、近代以降の古文の教育効果なんてたかがしれており、ほとんどの学生は古文を読めない状態にあった。いまは確かに酷いが、昔もたいしてすごくはない。

――つまり、三島のように絶望する必要はないということである。