★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

言はずんばあるべからず。恐れずんばあるべからず。

2022-05-21 23:55:53 | 思想


然りと雖も唯肝胆を摧くのみにして弥飢疫に逼り、乞客目に溢れ死人眼に満てり。臥せる屍を観と為し、並べる尸を橋と作す。観れば夫二離璧を合はせ、五緯珠を連ぬ。三宝世に在し、百王未だ窮まらざるに、此の世早く衰へ、其の法何ぞ廃れたるや。是何なる禍に依り、是何なる誤りに由るや。[…]倩微管を傾け聊経文を披きたるに、世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てて相去り、聖人は所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる。言はずんばあるべからず。恐れずんばあるべからず。

「立正安国論」は、第5代執権に提出されたけれども、反応は悪かった。のっけから、三宝と百王(天皇)は存続しているのに何故この世はかくもダメなのか、みたいな言い方であるから、どうみても、――お前らが悪いと言われているような感じだ。言われている武士たちからすれば、仏も念仏も大日如来も八幡大菩薩もいいけどそれ以上に「大和魂」(「源氏物語」)の感情労働的桎梏がつらいのに、信じてる宗教が悪いそれゆえ聖人はどっかいっちゃって魔や鬼ばかりじゃないかと言われては、坊主が何を偉そうに言っておるのかと思ったのかもしれない。確かに、地震によって世の中滅茶苦茶であり、見えるのは死体ばかりだ。しかし、もともと世はそうだったんじゃないかと、武士なら考えるのではなかろうか。武士もこの時代は念仏マシーンになってたのかも知れないがまだ光源氏的なところがあったのかもしれない。武士が破壊した浄土的妄想秩序は、武士自身たちにも共有されていて、故にか、今度は宗教者がそれにとどめを刺しに掛かった側面がないであろうか。

さきほど、NHKニュースで、北朝鮮のコロナ状況が報道されていた。そこで、人民に配布されているとおぼしき「愛の不死薬」の紹介があって、日本の昔のドラマかよと言った私に対して細がすかさず「愛の不時着」って韓流なかったっけ?と正確な情報をもたらしてくれたので、「愛の不時着」をググったが、めちゃくちゃ面白そうだな、このドラマ。

ある日、パラグライダーに乗っていた韓国の財閥令嬢が、突如竜巻に巻き込まれ、非武装地帯 (DMZ) を越境してしまい、北朝鮮 (北韓) に不時着したところを、北朝鮮の軍人に救助され、真実の愛に不時着するラブストーリー。(Wikipedia)


やっぱり令嬢+軍人+財閥、ってほぼ神話の三機能仮説(デュメジル)ではないが、主権+武力+富というバランスをとりながら葛藤してゆく話が転がってゆくのではなかろうか。日蓮がみた地獄のような世の中は、この葛藤がうまく機能せず、主権と武力に富が重なっている状態にあったのかもしれない。しかしだからといって、「愛の不時着」のように、越境してはならぬ境界がなければ葛藤が起こらないというのもどうなんだろうか。この場合、人々は、権力について考えぬまま越境行為自体を権力として無自覚にも見做すようになる。わたくしは、こういうラブストーリー、越境的研究、ウクライナ侵攻を全く別のものとして考えるやり方には反対である。