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夫生死之為海也。絡三有際。彌望罔極。帯四天表。渺獼無測。吹嘘万類。括捴巨臆。虚大腹以容衆流。闢鴻口而吸諸洫。襄陵之汰。洶々不息。凌崎之浪。礚々相逼。礚々霆響。日日已衆。轔々雷震。夜々既充。衆物累積。群品夥藂。何恠不多。何詭不豊。
この海というのは比喩ではなく、吾々の生死のあらゆるものがふくまれて飲み込まれているものを言っており、それが確かに海らしく思われるのには、何か海にそういうところがあるからにちがいない。母なる海とかいいたいのではなく、世界そのものが海的なのである。
人間基本狂ってるので、まわりに物が溢れてるだけで自分がその物を作ったか生み出したかのような感覚に少しだけ本気でなっている。そういう風に感じ続けていると、やってないことまでやったと言うようになるにちがいない。ネットだけじゃなく豊かささえ人間にははやすぎたのである。しかし、このような物との相互交通、いや相互浸透とはまさに海のようであって、それはきれいなもんじゃない。「衆物累積。群品夥藂。何恠不多。何詭不豊」である。
実際、海は遠くから観るときれいに見えなくはないが、近づいてみると、様々なものが浮き上がり蠢いているきわめて不気味なものである。河や空気と混じり合い、地上の様々なものを波で飲み込んできているそれは、たしかに物を混ぜたらこうなるわな、という体である。これにくらべて、山の方のほうがよほど混じっていない。どちらかというと物と物との相互交通の世界であり、混じり合ってる感じとは違う。
平家と源氏の争いを、海の民と陸の民の争いとしてみる見方がある。わたくしは山の民だから、義仲の味方であるが、義仲は法皇に命ぜられて西国に攻め入ったときに、平家は瀬戸内海を楯に四国に陣取った。このときから義仲の凋落が始まった。義仲の気持ちになって考えてみるに、正直海が怖かったのではないだろうか。山の民は海を川の延長にしかみることができない。でかい川が海である、しかしでかすぎるし、こんなきたねえ水は見たことがないから頭が働かなくなってしまうのである。しかるに、空海大先生が言うように、海の方が川に延長して飲み込んでいると見做すべきなのである。
横道誠氏の『みんな水の中』と東浩紀氏の『ゲンロン戦記』を去年一緒に論じたときに、言葉や共同体を水のなかのものとして考える彼らは非常に本質的なところをついているし、同時にわたくしなんかはなんとなく言葉をそんな風に考えていなかった、と思った。
長野県教員赤化事件(二・四事件)が長野県内でどのように意識されてきたか、前田一男氏の研究で教えられた。日義や茅野では児童による抗議の同盟休校が行われたと。教育会の本や学校史で記録されているらしい。こういう出来事は他でもあったに違いないが、長野県みたいな山では、歴史が出来事の点を結ぶようにして主体形成をしようとするところがある。実際影響関係はなくても、日義村での義仲の旗揚げや、藤村の「破戒」にでてくる校長に抗議する児童が、この同盟休校の記録と結びつく。事件の規模とは関係なく点があれば主体は作られる。――こんな風にも私は考えがちである。
前田氏の研究で紹介されていたが、郷土史で有名な一志茂樹は、長野県の教員の一部が左傾したのを白樺派的なものに結びつけるのは信濃哲学会の責任逃れの側面があると言っているという。思想統制が強まるなかで、長野県では多くの教員が西田哲学系に逃避し、そのなかで弟子の三木清に流れた若手がいたんだと言うのである。本当はどうだったかわからない。松本で逮捕者が出なかった代わりに、木曽では7名逮捕者が出たらしいし、実際は抵抗は点的である。しかし、この場合は、権力が長野県の教員を「赤化」の象徴としてでっちあげた。それは、教育県みたいなイメージがもともとあったからである。このイメージは海的な混沌ではなく記号に過ぎないから、簡単に書きかえればよかったのである。長野県が、更なる書き換えを志向して満州に児童を送り込んでしまったのは有名である。
これにくらべると、香川県なんかさまざまな歴史があるにもかかわらず、なんとなく自らを象徴化せずに海の様にたゆたっている。そういえば、その様態に「うどん県」というのは非常に合っている。三木成夫とか菊池寛とか、そんなイメージに合っている気がしてくるし、大平正芳だってそんな気がしてくる。
しかし、山の民のわたしは、所詮水は低きに流れるじゃないかと思いがちなのである。