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昨日から柳田の「序」が気になっていた。木曽谷において中山道は「天然の渡り廊下」であって、流行歌がながれてゆく廊下であるが、それを摘まむ人々は流れとは関係なく家に帰って生活に即した歌として歌う、そんな記述である。
――確かに中山道が中央線に置き換わって、文化の通り道ではなくなったんだな。そして柳田が夢想する文化的滞留と発酵を支える常民もただの田舎もんになってしまったのかも。ネットワークの世界とはケーブルや密室の電車であり、その外部に繋がっていない。文化の滞留は、都会や、いまだったらスマホのなかに閉じ込められる。我々がかえって文化を失いつつあるのは当然だ。