処が最後に本当の学界が残っているのだ。というのは、この現実の社会で学術が支配的影響力を有つ限りの世界が、広義の所謂「学界」――学壇――であることは今更述べるまでもないからである。併しそうなると、前に云った研究室に於ける学者の一種の家庭生活や、書物の貯蔵や学者のメーデーのようなものとは異って、社会的に云って非常に真剣な意味を有って来るのであり学問の本当の根本精神に触れて来るのである。こうなると、もはや本が羨しいとか何とか云ってはいられないので、本があろうとなかろうと、研究すべきものは研究しなければならぬという、社会的必要が支配的になって来るのである。従ってここではこの学界に対する不平とか不満とかいうことは問題でなくなって来るのであって、元来不平や不満は相手に多少とも期待をもち依頼心をもち一種の同類感をもつことから来るのだが、そういう期待依頼心同類感を絶した処には、不平も不満も成り立ち得ない。
――戸坂潤「学界の純粋支持者として」
もっとも、戸坂の言う「学界」でも通常の意味での学会でもいいが、そこで何とか生きてゆくのに忍耐や持続力が必要で、と考えられているのはまずいわな。確かに論文を書き上げる最後はそんなかんじだけれども、いつまでもそういう感じだと、特に学会への道半ばで挫折した人の感情教育としてよろしくない。木曽弁で言えば、ずくがないから研究者にならなかったと言いうるからである。まったくそんなことはない。
戸坂の期待通りに、戦後にはかなり「学界」というものが機能していて、これこそが学会の成立要件だったことも実感された。この半年ぐらいのわたしの思考過程を、松永伍一の『土着の仮面劇』で教えられた。昔の「学界」の人は鋭い。こういうことがないと、国際的な研究という非常にとじた集団が大学と大学のあいだの虚空に成立することになる。まさに霞ヶ関はこういう虚空と非常にシンクロ率が高い。研究そのものではなく、精神的な(というより人格的な)つながりであるから。その証拠に、彼らの研究は、妙なガイストに向かっている。
とおもっていたら、兵庫で知事が再選されたようであった。
だいたい民主主義というのは世の中に逆らっているのか、世の中の姿を写すのか、よくわからない。わたくしは、いつもやはり我々は世の中に喰われていると思うたちだ。したがって、ほっときゃクソか屁になるものを、喰われてから変態して蝶になんかになろうとしてもケツから出られないではないか。