★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

叛乱譜と松田聖子の同時代

2024-11-13 23:15:12 | 思想


「非国民の子」は敗戦の日までのはずであった。しかしそれは、逆の意味で戦後も引きつがれることになる。人々にとって戦争は悪夢であり、それは早く忘れたいものであった。しかし、「非国民の子」は常に戦争と共にあった。しかもそれは、常に戦争推進に協力してきた自分の過去そのものであり、日本の敗戦にもつながるものであり、それは社会的にもいえることであった。人々は「戦争」に対する価値観の百八十度の転換の中で、自らを平和主義者に転向させた。その人々にとって、「非国民の子」は戦争を背負っており、逆の意味で「非国民の子」を象徴していたことになる。これに対して、ベビーブーム世代は『新生日本の子供たち』と呼ばれ、社会的にも歓迎されていた。戦争という苦難からの解放、人生を新しくやり直すための一つの象徴的存在がベビーブーム世代にはある。彼らは、時代的にも、敗戦による極度の混乱が収拾してから生まれており、そこに敗戦を背負う戦時中生まれとは大きな差がある。

――田中清松『戦中生まれの叛乱譜』


田中のこの世代論は1985年のものである。だいたいの転向者というのは、その実「回帰」しただけだみたいな、雑な真実が横行するようになってから随分たつが、田中をはじめ、そこそこ戦後の世代問題が複雑なことはみんな自覚があった。それが、戦中で苦闘した連中はいやだったに違いない。たかが敗戦ぐらいで自分たちの思索をなかったことにしてもらってはこまる。だから花田清輝なんかも「ヤンガジェネレーション」よと喧嘩を売ったし、対して埴谷雄高なんかは「花田清輝よ」と固有名を強調したりする。むろん、自分がその世代問題に巻き込まれるのがいやなのだ。花田と埴谷には別の方向ではあったが逃避があった。

坂口安吾もそうであった。

個体発生は系統発生を繰り返す説があやしいように、青春から成熟に向かう時代があるとは思えない。安吾の堕落論が青春論とセットであるように、何か個人のなかに歴史を見すぎ、歴史の中に個人の発達みたいなものを見過ぎているのではなかろうか。それも逃避の一形態である。

そうなると、われわれは、人間の堕落とか弁証法以上に、身もふたもない状態を望むようにはなるわけである。プロレタリアートは絶対正しいと言っていた戦前の知識人はけっこう居たように思うが、それ以上に、ほんと絶対正しいんだ正しくなくても、という状態を主張している我々よりは、観念的ではない。

――ところで、「生めよ増やせよ」政策から疎外された、戦争末期の「非国民の子」のことを考えていたら、わたくしの庭のことも思いだした。だいたい「生めよ増やせよ」は単独の政策ではなく、ナチスを真似た「健康な結婚」道徳政策、根本的に差別的健康政策であることを看過してはならぬとおもうのだ。我々は、健康を謳いながら、ウメよフヤせよにはならず、他人の介護に直面している。それがいやな人間が、じぶん以外の破滅をのぞみ始める。そういえば、我が家では、かかる優生学に反対し、雑草と蛙を最優先にしてたら綺麗なお花が全滅した。

そういえば、津村喬の「横議横行論」ていうのは、1980年頃の論文だったのである。田中の本よりも5年早いが、わたくしは勝手に70年頃だと思っていた。ある意味で松田聖子と同時代性があるわけである。