
松福町のなかにひっそりとあります。

期待通りの雰囲気です。

祭神は、「お狸」。というわけで正確に言えば、「神」ではなく、「祭狸」である。
案内板に曰く、
「三伏大明神(みつぶせだいみょうじん)
幕末または明治の初頭、松平の殿様より、川崎家がお守りするようにといわれ、拝領したものとされている。その後、明治十八年(一八八六年)高松商法会議所等を設立した鈴木傳五郎氏が中心になり、拝殿等を造営した。」
鈴木殿五郎は、自由民権運動の人で、後に貴族院議員までやったひとだが、明治37年にでた浅岡留吉『讃岐人物評論』をみると、議員としてはとくに何ということもなかったが、彼のまわりはいろんな有志の人々によってサロンと化していたらしい。とりあえず、酒を控えろとかなんとか浅岡氏は書いていた。
「お狸さんを祭神とし、勝負事に御神徳があるといわれている。また、目の病にも御神徳がある生目八幡大神宮も合祀されている。」
また「タヌキ」を「他を抜く」とみなしてるんですね。自分の代わりに「他」を「擢く」(選ぶ)とかになったら困るような気がするんだが……
鳥居のヨコにもう一つ、可愛らしい案内がありました。
「三伏大明神」
愛称。しょうふくさんの由来、
那須与一の扇の的、
その昔、源平の戦い・「屋島の合戦」で那須与一の扇の的を打ちぬいた時の矢の長さは十二束三伏であった。(一束は握り拳一つ、一伏は指一本の幅、普通の矢は十二束、約九十二センチ)。与一は小兵といいながら、鎬矢は浦一帯に鳴り響くほどに長いうなりをたてながら扇に命中した。この神がかった快挙は、屋島狸のなせる技として,三伏の名前お狸が祀られたとさ。
――どうみても、狸の神通力ではなく与一が人間ではないではないか。
「高松城のお狸さん、(北条玲子著書「さぬきの狸」から)
三伏の「伏」という字は人と犬を表し、人にも犬にもなるという意味から狸を連想させます。こんな歌が残っています。「トッキャ橋に狸が三匹、三つあわせて みちょろ ちょる ちょる」(常盤橋は玉藻城の大手門・内堀に架かる)明治維新、廃藩置県世の中はめまぐるしく変わり、これらの三匹狸にも文明開化の波が押し寄せ、否応なくお城から等地に移り住んだとさ。
――なるほど、だんだん狸である理由が分かってきました。それにしても、狸は文明開化に弱いですね。ゴキブリをみてください。全くへこたれておりません。
しょうふくさんの御神徳、
宝くじが当たる、受験合格、良縁成就、心願成就、選挙必勝、金運・事業運・恋愛運・子宝に恵まれるなど・・・
「一発必中の神様」として高松競輪に来る人たちがこの祀に大勢お参りをしてるとさ。
――で、そのお参りに来てる方たちはどうなりました?「宝くじが当たる、受験合格、良縁成就、心願成就、選挙必勝、金運・事業運・恋愛運・子宝に恵まれる」+「競輪で大勝」。ここまで願いが叶っている人って、マイケル・コルレオーネぐらいじゃないか。安倍晋三君でもかなり当てはまっていない。