★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

上西原神社・お竹大明神を訪ねる(香川の神社10)

2017-08-29 17:45:44 | 神社仏閣
住宅街のなかにひっそりとある神社に行きました


毘沙門さん、あるいはお塚さん、と呼ばれてきたそうです――。このぐらいの佇まいがかえって神様という感じですがな。このあたりは塚が多かったといいいます。


燈籠が一番でかい……昔は、神社も大きかったのも知れません。


これは、お竹大明神(狸)を祀ったもの。案内板によると、

昔この辺りは樹木や竹藪が多く、昼間でも薄暗い所であった。だから森岡屋敷にお竹狸が住みつき、夜ごと通行人に悪戯して里人を困らせていた。そこで里人はお竹狸をこの里より追放することにした。それを聞いたお竹狸は、ある夜里人の枕元に現れ「里塚の大木の傍らに神として祭ってもらえば、毘沙門天と共に里の火除けの神となろうぞ」と夢告げしたので、里人は祠を建ててお祭りした。

四国は屋島のあの超能力狸をはじめとして、日本でも珍しい狸王国である。なぜそんな事になったのかわからんが、日露戦争の時も密かに大量の狸が出征しているそうである。つまり、狸は狸ではなく、ある種の人間ではあるまいか。――それはともかく、お竹と云えば、阿波狸合戦の新八の女房であるが、こんなところにもいたとは……しかも悪さをしくさったあげくに追放されそうになったら、毘沙門と一緒に神として祭れとは何を言ってるのだこの狸は。しかし、なんとも悲しさみたいなものが感じられなくもないエピソードである。いたずら者をいじめたり追放したりするには細心の注意が必要だというのは、「ごんぎつね」にも受け継がれる精神である。ごんみたいに、生きているうちにええことして逆に撃たれるより、積極的に一気に神になった方が良いというわけである。はたしてそうか……。――こうやって日本は戦争に負けるのである。


最新の画像もっと見る