いつものように学生たちを軽蔑する気も起らず、また憎む心もなく、不憫な気持が幽かに感ぜられただけで、それも雀の群に対する同情よりも淡いくらいのもので、決して心をゆすぶるような強いものではなかった。ひどい興覚め。絶対孤独。いままでの孤独は、謂わば相対孤独とでもいうようなもので、相手を意識し過ぎて、その反撥のあまりにポーズせざるを得なくなったような孤独だったが、きょうの思いは違うのだ。まったく誰にも興味が無いのだ。ただ、うるさいだけだ。なんの苦も無くこのまま出家遁世できる気持だ。人生には、不思議な朝もあるものだ。
――太宰治「正義と微笑」
てめえが孤立しているからといって、正しいとはかぎらない。しかし、なぜか我々は孤独こそが正義や悟りへの道であると思いがちである。そこには何か、我々が共同体の意識としてもつ、温かさへの郷愁にもにた欲望の存在への直情的な反発がある気がするのである。ルサンチマンがある奴を出世させるのはどうかともおもうわけだが、もっと最悪なのはルサンチマンすらない幇間である。これもたしかだが、その無垢な微笑をたたえる従順な人々の姿にも、なにか孤立による凍死みたいなものへの恐怖がある気がする。我々の国土は、案外肌寒い時期が長いのだ。
物言へば唇寒し秋 の風
ほんとうはもっと肌寒いのだと思うのである。「鼻」の最後にも、世間からの風であろうか、なにか坊さんの長い鼻さえぶらつかせる風が吹いていた。
「おたく」という言葉はいかにもなんとなく「こたつ」とか「あたい」に似て温かみがあって、それゆえ馬鹿にされるので、思い切ってYOUという意味の原点に返り、「キサマ」とか「テメエ」とか「アンチクショウ」とか「キデン」とかにした方が攻撃的で地位が上がるのではないか――こんな風には考えられない。我々は「おたく」という語を再び選ぶであろう。「あはれ」もそうである。我々はなにか、寒い日常に対する報酬系への欲望を保つように行動している節がある。それが、言葉のセンスにも影響を与えているのかもしれない。
細がいってたんだが、わたしが小さい頃体調悪かったのは、木曽が寒すぎたからではないかと。確かに寒さに震えるみたいなところまでは容易に表象されているが、そのあと慢性的に体調が悪くなってるところまで描かれない傾向が、我々の文化にあるかも知れない。それで油断しているのだ。両親たちは、戦前戦中の苛酷な寒さでも大丈夫だった生き残りだから平気なんだが、――現代は、昔は死んでた子どもたちが生き残ってる時代だ。メンタルの弱さもふくめて、もしかしたら我々は大人として初めてみる人たちを多く抱えているんじゃねえかなと思う。医学の進歩がほんとに新人類をつくっているのかもしれない。
しかし、にもかかわらず、温かさを我々は求めている。仕事をするためには、暖かいものたべて暖かくすべし。それに、いつの頃からかしらないが、日本の分断は右と左のそれじゃなくなっていると思う。この対立は、心理的なコモンセンスに頼るか、理性的な合理性に頼るかの違いだが、それが対立するためには、ちょっと気に入らない人を困ってる人なら助けるか、あるいは助けないか、みたいな対立は存在してはならない。今日本にあるのは、あってはならない基底的な対立である。ミシュレの「フランス革命史」は、そんな基底の対立を力としての「自由」で押し切る強引さの描写から始まっている気がする。これは我々にはいまだに出来ない芸当で、だから、「寄り添い」などという体温を匂わす言葉でしか、改善を示唆出来ない。本当は強い自由への理念を、相手の自由を守る風に展開する攻撃的なあり方だってありうるのである。たぶん「走れメロス」とはそれをいいたいんだろうと思う。
新右翼の鈴木邦男氏がなくなった。氏の本は買った割にはあんまり読んでないが、いつのころからか本の表紙がちょっとケバいはずかしいかんじになってきており、本人というより、氏をとりまく環境に問題ありとおもった。本人もそれで左側?のひとと話すようになったのであろうか。最後まで本が好きな大学生のような人だった気がするのは、氏の部屋の写真の印象にすぎないかもしれない。氏の顔も七福神に出てくるような顔であった。とりあえず、氏の残したものは、右翼は優しくなきゃイカンということであったと思う。