★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

いざうれ己等さらば死出の山の供せよ

2019-10-11 23:05:19 | 文学


能登殿まづ真先に進んだる安芸太郎が郎等をば裾を合はせて海へどうと蹴入れ給ふ、続いて懸かる安芸太郎をば弓手の脇に掻い挟み弟の次郎をば馬手の脇に取つて挟み一締め締めて、いざうれ己等さらば死出の山の供せよ、とて生年二十六にて海へつつとぞ入り給ふ


土佐の暴れん坊、安芸太郎次郎兄弟とその子分が猛然と平教経(能登殿)に襲いかかる。能登殿は、義経に八艘飛びで逃げられ、「われと思はん者どもは、寄つて教経に組んで生け捕りにせよ。鎌倉へ下つて、頼朝に会うて、ものひと言言はんと思ふぞ。寄れや、寄れ。」と言っても誰も怖がって反応しないので苛立っていたのである。頼朝に会うつもりだったのだがやめたらしく、土佐の暴れん坊たちを抱え込んで「さあ死出の山のお供をしてもらうぜ」と言って海へ飛び込んだ。

わたくしが『平家物語』で一番好きな場面である。敵をお供にというのがかっこいいからだ。

とはいえ、考えてみると、海というのは便利――自決に非常に便利なのだ。義仲なんか、惨めに田んぼの中で討ち取られ、巴さんも敵の首をねじ切って棄ててんげりしなければならなかった。地上というのは、勝っても負けてもなんとなく所在ない感じがつきまとうのである。しかし海はすぐ死出の口が開いている。平家は海の人々だったと言われるので、あるいは、わたくしが「御山に帰る」という感じかもしれないが、手っ取り早いことには変わりがない。

壇ノ浦の場面で安徳天皇を皮切りに平家の武将たちが次々に死出の山へ飛び込んでゆく様は、――いつのまにか、清盛の炎上死を慰めるような静かな感情に満ちあふれている。

太平洋戦争の時も、我が国のある人々は、海で死のうと思っていたのではないのか。しかし、本当は平家の人々はそのさまざまな生がどのようなものだったのか記録しておくべきであった。生き恥をさらしてでもその生を記録しなければならない。昭和の人々もそうであった。しかし、それをするよりは書類を焼き、死んだ方がいいと言い合っているのである。我が国の人々が生きている意味とはなんであろうか。最近、意味がなくとも生きろと言うが、それは意味がないから死ね、に近い。意味はあるはずである。

混声合唱と2台のピアノのための 交聲詩 海 (三善 晃, scatola di voce)


これは美しすぎて、「海ゆかば」の逆にしか存在していない。「海ゆかば」を否定するためには、地上に帰るだけでは足りない。また、貴族的なものに帰っても、浮舟のように川に帰ろうとしてしまう。ゾンバルトみたいに『戦争と資本主義』を書くという行き方もあるし、その歴史小説版みたいなものもありうるわけだが、わたくしはまだ物足りない気がする。


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