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我が身は女なりとも敵の手にはかかるまじ、主上の御供に参るなり、御志思ひ給はん人々は急ぎ続き給へや、とて静々と舷へぞ歩み出でられける
主上とは誰であるか。清盛ではない。安徳天皇である。清盛は、地獄で火だるまになっているのでお供に行ったら大変なことになる。ここはお孫のお供である。天皇を無理矢理入水させるみたいなことができるのがやはりさすがに清盛の妻である。しかも同志は一緒についてこい、というのだからすごい。
わたくしは、安徳天皇はこのとき二歳ぐらいだと思い込んでいた。なんと八歳なのである。よく覚えていないが、好色一代男ならそろそろ覗きでもやっている頃ではなかろうか。しかも安徳天皇は光
あきれたる御有様にて、抑も我をば何方へ具して行かんとはするぞ、と仰せければ
そりゃそう言うわな……
君は未だ知ろし召され候はずや、前世の十善戒行の御力によつて今万乗の主とは生れさせ給へども悪縁に引かれて御運既に尽きさせ候ひぬ、まづ東に向かはせ給ひて伊勢大神宮に御暇申させおはしましその後西に向かはせ給ひて西方浄土の来迎に預からんと誓はせおはしまし御念仏候ふべし、この国は粟散辺土とて心憂き境なれば極楽浄土とてめでたき所へ具し参らせ候ふぞ
そんなこたぁ初耳だ。悪縁とはなんぞ。あのラスボス清盛のことであろうが、朕は帝だぞ。――とはいえ、この國ではもはや天皇よりも仏教の方が偉いのであった。伊勢神宮には挨拶しておいて、極楽浄土へ直行だ。しかも、ばあばの言うところによれば、この神国は「粟散辺土」であるそうだ。八歳の朕にはわからんが、粟を散らした如き辺境という意味のようであるが――つい、本当のことを言ってしまったようである。インド至上主義である日本の僧が劣等感を跳ね返すときに「粟散辺土なれども」とか言って自らを奮い立たせているらしいが、元気のないときには、我々はそのスプリングボードそのものに回帰してしまう。いわば、――最近の我が国の凋落の原因は、我が国が凋落したことにある。
更に八紘一宇といふ事は、世界が一家族の如く睦み合ふことである。
これは國際秩序の根本原則を御示しになつたものであらうか。現在までの國際秩序は弱肉強食である。強い國が弱い國を搾取するのである。所が、一宇即ち一家の秩序は一番強い家長が弱い家族を搾取するのではない。一案強い者が弱い者のために働いてやる制度が家だ。世界中で一番強い國が弱い國、弱い民族達のために働いてやる制度が出来た時、初めて世界は平和になる。日本は一番強くなつて、そして天地の萬物を生じた心に合一し、弱い民族達のために働いてやらねばならぬぞと仰せられたのであらう。何といふ雄渾なことであらう。日本の國民は振ひ起たねばならぬではないか。強國はびこつて弱い民族をしいたげている。
――清水芳太郎「建国」(1938)
二・二六の「蹶起趣意書」も、日本は天皇の統帥のもとに「挙国一体生成化育」しなければ、と力み返っているし、上のも弱者の味方とか言って言を濁しているが、――彼らの自意識において、自分が弱者であることはなぜだか完全に自明なのである。だからこそ「雄渾」に「振ひ起たねばならぬ」ということになる。自分の國を小さく弱者だと思っている限り、いや「大きく頑張ろう」みたいなことになる。安徳天皇のばあやの場合は、一度は天下を取って有頂天だったのに、もともと「このクソ辺境」とか思っているので、今度はここではない別世界・極楽浄土に飛ぼうとするのである。
現在、「日本イイネ」の人たちと「日本はクソ田舎」が、敗者と勝者の違いを表しているに過ぎないのと同じである。前者は自分が滅びるまで悟るまい。後者はさっさと外国に逃げるであろう。
「波の底にも都があります」とばあやは言ったが、語り手は無情である。
未だ十歳の内にして底の水屑と成らせおはします。