★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

暗い青春

2023-12-20 23:59:57 | 文学


 まつたく暗い家だつた。いつも陽当りがいゝくせに。どうして、あんなに暗かつたのだらう。
 それは芥川龍之介の家であつた。私があの家へ行くやうになつたのは、あるじの自殺後二三年すぎてゐたが、あるじの苦悶がまだしみついてゐるやうに暗かつた。私はいつもその暗さを呪ひ、死を蔑み、そして、あるじを憎んでゐた。
 私は生きてゐる芥川龍之介は知らなかつた。私がこの家を訪れたのは、同人雑誌をだしたとき、同人の一人に芥川の甥の葛巻義敏がゐて、彼と私が編輯をやり、芥川家を編輯室にしてゐたからであつた。葛巻は芥川家に寄宿し、芥川全集の出版など、もつぱら彼が芥川家を代表してやつてゐたのである。
 葛巻の部屋は二階の八畳だ。陽当りの良い部屋で、私は今でも、この部屋の陽射しばかりを記憶して、それはまるで、この家では、雨の日も、曇つた日もなかつたやうに、光の中の家の姿を思ひだす。そのくせ、どうして、かう暗い家なのだらう。


――坂口安吾「暗い青春」


上は、坂口安吾の文章の中でも出色のエッセイであるが、――芥川龍之介と坂口安吾は自分の核を暗い家とか山房みたいな空間として把握するところが、案外にていると思う。ただし、文学的履歴は逆方向を向いている。一方、三島と太宰は、似たもの同士なんだとか、三島の側から文学的な違いを云々することもあるんだが、ほんとはもっと表面的かつ根本的な違い、例えば戦時下と戦後とかいった違いを考えさせるものもありそうだ。最近の学生の人間失格の読解は、もしこれが戦時下に読まれていたらどうだったかみたいな思考実験に誘うところがある。太宰も三島も時代への恨みが自分の核だった。

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