裸体の流行は以上の如く戦争後に始めて起った事であるが、西洋ではむかしからあったものであろう。私が西洋にいたのは今から四十年前の事だが、裸体なぞはどこへ行っても見られるから別に珍しいとも思わなかった。女郎屋へ上って広い応接間に案内されると、二、三十人裸体になった女が一列になって出て来る。シャンパンを抜いてチップをやると、女たちは足を揃えて踊って見せるのだ。巴里のムーランルージュという劇場は廊下で食事もできる。酒も飲める。食事をしながら舞台の踊を見ることができるようになっていた。また廊下から地下室へ下りて行くと、狭い舞台があって、ここでは裸体の女の芸を見せる。しかしこういう場所の話は公然人前ではしないことになっている。下宿屋の食堂なんぞでもそんな話をするものはない。オペラやクラシック音楽の話はするけれども、普通のレヴューや寄席の話さえ食事のテーブルなどで、殊に婦人の前などでは口にしてはならない。これが西洋の習慣なのである。日本ではあることないこと何でも構わずに素ッ破ぬく事は悪いことでも耻ずべき事でもないとされている。私はこれも習慣の相違として軽い興味を持ってこれを見ている。舞台で裸体を見せる事も、西洋文化の模倣とも感化とも見て差閊はないであろう。八十年むかしに日本の政治や学術は突如として西洋化した。それに後れること殆ど一世紀にして裸体の見世物が戦敗後の世人の興味を引きのばしたのだ。時代と風俗の変遷を観察するほど興味の深いものはない。
――永井荷風「裸体談義」
安倍首相「無職の握手会入場、見直しを」
http://kyoko-np.net/2014052801.html
→あまり驚かなかったわたくしが嫌だ。