
https://www.youtube.com/watch?v=_PX4mDbIYB0
オオカミが歌に合わせて

昨日、帰宅したら、大本営発表ニュースウォッチ9で東大のなんとかっていう学者が、今般の人文社会系の改称や改組は、社会に適応するための試行錯誤を行っている自主性のなんとかで、とか言っていた。この先どうなるかわからない不透明な時代だからだそうだ。こいつの名前はきちんと記憶しておいた。(夕食食べたら忘れたが。)これから、文科省だけでなく嘘つき野郎がどんどん増えるであろう。わたくしは、林達夫の「デカルトのポリティーク」はある意味、知識人に非常に甘い文章だと思う。問題は、正確な記憶と記録だ。
妙な名前の学部に反応して入学を希望する学生は間違いなく馬鹿である。優秀な学生が、お上の司令で作った妙な名前のところで学びたいと思うか、普通?お上の狙いは、実はそこにあるのであるが……。そもそも、大学が「地方」でも「教育界」でもいいが、業界に人材を送り出して奉仕するという考え方が小学生的に幼稚である。むしろ大学はあらゆる業界(社会)から孤立していることによって、未来の社会だかなんだかに役に立つ可能性が生じるというのが、まともな国家の常識なのではないか?創造性というのは、異質性から出てくるに決まっているではないか。社会とは関係ないような空気と空間から結果的に変な面白いものがでてくるのである。人間性はすばらしいへいこらした社会人、頭だけ創造性がすごい、とかいう都合のイイやつなんかいるか?いるわけないわ。
大学時代の私の考えはこうであった。――医学部、工学部、経済学部、法学部、教育学部、農学部、いずれも人材育成を目標にするなら実体はビジネススクールである。専門学校に改称すべき。大学と名乗っていいのは文学部と理学部(しかも虚学の部分だけ。あと芸大)だけだ、と。私は、のちに考えを改めた。本来ビジネススクールであるものを大学のなかに入れておくことによって、そのビジネススクールが未来に対して道を誤るのを防ぐことができる、と。例えば、教育学部など、国家と現場にまかせといた日にゃ、とんでもないことになるというのは、戦前の体たらくで証明済みである。最後には、教室まで放棄し、兵隊づくりにいそしみ軍需工場で生徒を働かしたではないか。時局がそうさせたのではない。あれは単に構造的必然である。
TPPで大騒ぎの世間であるが、なんで消費者と生産者を相対的に扱う議論がなされているのか全く不明である。問題は、またお上が嘘をついていることだろうが……。安保騒動で現政権が学んだのは、おそらく「国会で議論をやると、嘘がばれて面倒なことになる。国会はなるべく開かずにいこう」である。いやはや、大変なことになってきたわな
放送大学で、ある先生が、現政権は戦争をやろうとしてます、防衛意識からだいたい戦は始まるもんです、みたいな文から始まる試験問題をつくったところ、抗議がきて放送大学の責任でその文言だけ削除したらしい。「議論中のことについては中立であるべきだ」とかいう抗議だったらしい。くだらん。安倍のとりまきでさえそんな自明の理のところで議論をやってねえだろうに。だいたい、この抗議者はその問題をちゃんと解けたのか?――安倍も日本の左翼もだいたいナショナルなものに関しては同じようなところに落ち着く可能性があり、だから防衛意識というのがやっかいになる――、それをどうするのかが問題なのである。柄谷×人みたく交換Dとか言えればいいが、たぶん一番可能性が高いのは、また戦争の経験によって理性の狡知が働くというやつであろう。いや、理性ではなく……
オオカミが歌に合わせて

昨日、帰宅したら、大本営発表ニュースウォッチ9で東大のなんとかっていう学者が、今般の人文社会系の改称や改組は、社会に適応するための試行錯誤を行っている自主性のなんとかで、とか言っていた。この先どうなるかわからない不透明な時代だからだそうだ。こいつの名前はきちんと記憶しておいた。(夕食食べたら忘れたが。)これから、文科省だけでなく嘘つき野郎がどんどん増えるであろう。わたくしは、林達夫の「デカルトのポリティーク」はある意味、知識人に非常に甘い文章だと思う。問題は、正確な記憶と記録だ。
妙な名前の学部に反応して入学を希望する学生は間違いなく馬鹿である。優秀な学生が、お上の司令で作った妙な名前のところで学びたいと思うか、普通?お上の狙いは、実はそこにあるのであるが……。そもそも、大学が「地方」でも「教育界」でもいいが、業界に人材を送り出して奉仕するという考え方が小学生的に幼稚である。むしろ大学はあらゆる業界(社会)から孤立していることによって、未来の社会だかなんだかに役に立つ可能性が生じるというのが、まともな国家の常識なのではないか?創造性というのは、異質性から出てくるに決まっているではないか。社会とは関係ないような空気と空間から結果的に変な面白いものがでてくるのである。人間性はすばらしい
大学時代の私の考えはこうであった。――医学部、工学部、経済学部、法学部、教育学部、農学部、いずれも人材育成を目標にするなら実体はビジネススクールである。専門学校に改称すべき。大学と名乗っていいのは文学部と理学部(しかも虚学の部分だけ。あと芸大)だけだ、と。私は、のちに考えを改めた。本来ビジネススクールであるものを大学のなかに入れておくことによって、そのビジネススクールが未来に対して道を誤るのを防ぐことができる、と。例えば、教育学部など、国家と現場にまかせといた日にゃ、とんでもないことになるというのは、戦前の体たらくで証明済みである。最後には、教室まで放棄し、兵隊づくりにいそしみ軍需工場で生徒を働かしたではないか。時局がそうさせたのではない。あれは単に構造的必然である。
TPPで大騒ぎの世間であるが、なんで消費者と生産者を相対的に扱う議論がなされているのか全く不明である。問題は、またお上が嘘をついていることだろうが……。安保騒動で現政権が学んだのは、おそらく「国会で議論をやると、嘘がばれて面倒なことになる。国会はなるべく開かずにいこう」である。いやはや、大変なことになってきたわな
放送大学で、ある先生が、現政権は戦争をやろうとしてます、防衛意識からだいたい戦は始まるもんです、みたいな文から始まる試験問題をつくったところ、抗議がきて放送大学の責任でその文言だけ削除したらしい。「議論中のことについては中立であるべきだ」とかいう抗議だったらしい。くだらん。安倍のとりまきでさえそんな自明の理のところで議論をやってねえだろうに。だいたい、この抗議者はその問題をちゃんと解けたのか?――安倍も日本の左翼もだいたいナショナルなものに関しては同じようなところに落ち着く可能性があり、だから防衛意識というのがやっかいになる――、それをどうするのかが問題なのである。柄谷×人みたく交換Dとか言えればいいが、たぶん一番可能性が高いのは、また戦争の経験によって理性の狡知が働くというやつであろう。いや、理性ではなく……
結婚はコスパが悪い ひとりの寂しささえも代替可能
http://dot.asahi.com/aera/2015090300069.html
様々なことを妄想させる記事である。
・コスパって、スパゲッティの一種ではなかろうか。違います。
・コスパとか言っている時点で、たぶん頭が悪いのであろう。
・「結婚はコスパが悪い」って、モテない奴のいいわけではなかろうか。
・まあ一緒にいて面白くない人間が増えているんだろうねえ……昔からいたか……
・費用対効果ばかり考えるやつって、大概、「自分の能力も顧みず効率だけ考えて失敗し続けるバカ」だよな。
・結婚といっても、いろいろあるじゃんか。どういうものを想定してるのであろうか?
・結婚しない奴は非国民とか、いい歳して結婚してない奴を差別するやつが存在していること自体コスパが悪い。
・結婚してなくても安心して子どもを産める制度にさっさと切り替えるべし。コスパが悪すぎるぞ。
・相手がクズならさっさと離婚した方がいいね、コスパが悪い。
・親もクズならはやく縁を切った方が良い。コスパが悪い。
・子どもがクズなら、さっさと縁を切った方がよい。コスパが悪い。
・結婚して独身者を馬鹿にする奴は頭が悪い。コスパも悪い。
・独身者で「結婚したら負け」とか言っている奴は頭が悪い。コスパも悪い。
・結婚式、結納、その他、本人以外の自己満足的儀式はいらんから、本人たちに任せろ、コスパが悪すぎる。人身売買的にはコスパは最高。
・勉強はコスパが悪い。
・病気はコスパが悪い。
・健康になるための努力はコスパが悪い。

人生自体コスパがわるいと気づいてしまったわたくし
・とはいえ、「人生は費用対効果なんか考えてもだめなのよ。不確実性こそがスリンリングで人生よ」とか言ってる人間とは一緒に暮らしたくない。不確実性?あんたの失敗でしょうがっ。とりかえしのつかないミスもあるんだよ。
・しかし、コスパを「コスプレパフォーマンス」の意味として使った場合、人生は一変する。というより、人生はコスプレパフォーマンスのようなところがあるのではなかろうか。
http://dot.asahi.com/aera/2015090300069.html
様々なことを妄想させる記事である。
・コスパって、スパゲッティの一種ではなかろうか。違います。
・コスパとか言っている時点で、たぶん頭が悪いのであろう。
・「結婚はコスパが悪い」って、モテない奴のいいわけではなかろうか。
・まあ一緒にいて面白くない人間が増えているんだろうねえ……昔からいたか……
・費用対効果ばかり考えるやつって、大概、「自分の能力も顧みず効率だけ考えて失敗し続けるバカ」だよな。
・結婚といっても、いろいろあるじゃんか。どういうものを想定してるのであろうか?
・結婚しない奴は非国民とか、いい歳して結婚してない奴を差別するやつが存在していること自体コスパが悪い。
・結婚してなくても安心して子どもを産める制度にさっさと切り替えるべし。コスパが悪すぎるぞ。
・相手がクズならさっさと離婚した方がいいね、コスパが悪い。
・親もクズならはやく縁を切った方が良い。コスパが悪い。
・子どもがクズなら、さっさと縁を切った方がよい。コスパが悪い。
・結婚して独身者を馬鹿にする奴は頭が悪い。コスパも悪い。
・独身者で「結婚したら負け」とか言っている奴は頭が悪い。コスパも悪い。
・結婚式、結納、その他、本人以外の自己満足的儀式はいらんから、本人たちに任せろ、コスパが悪すぎる。
・勉強はコスパが悪い。
・病気はコスパが悪い。
・健康になるための努力はコスパが悪い。

人生自体コスパがわるいと気づいてしまったわたくし
・とはいえ、「人生は費用対効果なんか考えてもだめなのよ。不確実性こそがスリンリングで人生よ」とか言ってる人間とは一緒に暮らしたくない。不確実性?あんたの失敗でしょうがっ。とりかえしのつかないミスもあるんだよ。
・しかし、コスパを「コスプレパフォーマンス」の意味として使った場合、人生は一変する。というより、人生はコスプレパフォーマンスのようなところがあるのではなかろうか。

昭和九年版の復刻。読んでみたが、やっぱり面白くはない。ダン吉が芥川龍之介の「桃太郎」よりも純情な植民地主義者だから面白くないのではない。鼠を家来に、どこかの黒人たちを「蛮公」と呼んで番号(マイナンバー!)を振って国民化をはかり、軍隊を組織し、インフラを整備し、「じゃがいも」と呼ばれる海賊(これは白人か?)をやっつけ、様々な失敗をしながら「蛮公」たちに尊敬されている「白んぼ」(!)のダン吉は、まあ当時の国策の漫画化であり……ポストコロニアルの観点からして……。と言いたいところだが、それにしてはあまりに話が脳天気すぎ、幼稚である。大日本帝国にしてもこんな幼稚ではない。ポストコロニアルな観点に立つ学徒は、こんなものを相手にしていると、本丸を見失う。
ダン吉は、鼠としゃべくりながら釣りをしていたところ、居眠りをしてしまい(←だめだこりゃ)、その間に南国に着いていたらしい(どこだよ……)のであるが……、この設定からして、たぶんこの後の話はダン吉の夢か、あるいは鼠がしゃべれることからして最初から夢であろう。だいたい、ダン吉はまだたぶん小学校低学年の男の子だろう……。こんなやつに「蛮公」たちが負ける可能性は、実際のところ完全に0である。
このダン吉の物語に対して、昔の日本人の気概はすごいとか言いたい人がいるであろうが、まさかこんな「少年の夢」の思想で、戦争や植民地支配をやっていたとしたら、そりゃ負けるわ……。
負けて良かった。そのために、「冒険ダン吉」は、「モスラ」や「あやうしズッコケ探検隊」、あるいは「みどりのマキバオー」に変形して子どもたちを熱狂させている。よかったよかった。
附記)ダン吉、久しぶりに手紙がきたので嬉しいやら懐かしいやらで、読んでみると「白ン坊のくせに生意気だぞ。俺の家来になれ」という、隣国の王様からの手紙であった。怒ったダン吉であるが、鼠に相談すると、鼠も怒っている。で、「蛮公」たちに招集をかけてみると「何しろ戦争好きの蛮公たちです。それを聞くと大喜び、命令はそれからそれへと伝わり、島を挙げての大さわぎとなりました」。よく分からんが、丸山眞男に無責任のなんちゃらとまた怒られそうな感じである。絵の部分でも「隣国をやっつけろ」「戦争を始めろ」と言ったのは、「蛮公」たちなのである。「蛮公」たちは、ダン吉が「けしからん」と言って手紙を掲げているだけなのに、勝手に命令を受け取り、大喜びなのだ。さすがに「蛮公」だけのことはある。

皮肉なもので、批評家やジャーナリストの高級な価値判定と、読者の血肉としての受けとり方は違うことが多い。批評家やジャーナリズムは龍之介や潤一郎が高しょうに愛読され文学的に正しく読まれていると認定しているかも知れないが「大菩薩峠」や「出家とその弟子」や「宮本武蔵」が宗教的なふん囲気をもって熟読されている事実は是非もなく、これを硬派の読まれ方とすれば、前者は軟派的、女性的であり、一方が合掌的に、一方がため息的に、要するに読者の血肉の中へ読みとられている度合は同じことだろう。
高級をもって任じる批評家ほど、作品と読者の魂の結合に無理解なものだ。「戦後派賞」などがその好例で、あの作者の未来のことはとにかく、目下手習いの作品だ。高級を気負いすぎて独善的な批評精神は、コットウの曲線をがん味する一人よがりのワカラズ屋と同種のぜい弱さを骨子にしているものである。
百万人の文学の性格を一言にいえば、読者が血肉をもってうけとるにこたえるだけの、作者の血肉がこもっていなければいけないということで、鬼の一念によって書かれていることが条件である。
――坂口安吾「百万人の文学」
その東京の町々の燈火が、幾百万あるにしても、日没と共に蔽いかかる夜をことごとく焼き払って、昼に返す訣には行きますまい。
――芥川龍之介「妖婆」
もし、ただひとりの人間が最高の愛を成就したなら、それは百万人の人々との憎しみを打ち消すに十分であろう。
――ガンジー
加賀百万石
100万回生きたねこ
御母摩耶夫人の。孝養の御為なれば。仏も御母を。かなしび給ふ道ぞかし。
況んや人間の身としてなどかは母を悲しまぬと。子を恨み身をかこち。
感歎してぞ祈りける親子鸚鵡の袖慣れや百萬が舞を見給へ。
あら我が子。
恋しや。
――能「百萬」

下役人がサボる、不正をやる、人民につらくあたる。われわれは毎日そういういやなうわさを耳にします。そうして上役人は「綱紀粛正」とか称して下役人をしばったり督励しようとしているといううわさを耳にします。しかし私をしていわしむれば、それは決して下役の罪ではない。下役といえども飯を食わねばならぬ。その下役をして道徳的に自信のない行動をむりやりにやらせて、事久しきに及べば、彼らが道徳的に堕落するは当然です。したがって彼らをして堕落せしめたのは実に上役の罪であると私は思います。
――末弘厳太郎「役人の頭」

われわれが食事をとれるのも、肉屋や酒屋やパン屋の博愛心によるのではなくて、自分自身の利益にたいするかれらの関心によるのである。われわれが呼びかけるのは、かれらの博愛的な感情にたいしてではなく、自愛心にたいしてであり、われわれがかれらに語るのは、われわれ自身の必要についてではなく、かれらの利益についてなのである。
――アダム・スミス『国富論』