★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

「負けじが勝ち」再考

2021-07-17 23:40:25 | 文学


双六の上手といひし人に、その行を問ひ侍りしかば、「勝たんと打つべからず。負けじと打つべきなり。いづれの手かとく負けぬべきと案じて、その手を使はずして、一目なりともおそく負くべき手につくべし」といふ。道を知れる教、身を治め、国を保たん道も、又しかなり。

そうかもしれないが、その負けないということが「国を保」つこととどう関係しているのか分からない。野球をみていても、結局強いチームは守りがきちんとしているようにみえるが、そういうことであろうか?確かに、勝つというのは、最後の曲面でうまいことやったみたいなところがあるから、一人のおかげに見えるが、負けないためには、組織の内部の各々の能力がきちんと発揮されていなければならない。サヨナラホームランは、それまでの投手と守備力に支えられていなければならないのである。

おそらく教育を社会資本みたいに考える場合には、それを保守するために、全員が頑張ることになるが、――生き残りをかけるぜみたいな行き方をすると、強力な大砲が何本が必要だみたいになって、弱い兵隊はいらんみたいな感じになる。これがダメなのは日本の敗戦で明らかだ。つまり、わたくしのような頭のおかしい奴の場合、――案外、日本は本土決戦で全員で組織戦をやった方が勝ったのかも知れないと思ってしまうところがある。一発逆転みたいな発想が間違っていることは明らかである。

無論、そんなことはできない。我々はそこまで粒ぞろいの人間ではない。現実に起こるのは、総力戦ではなく、局地的なホームラン合戦、予算=陣取り合戦だ。

現在の自分を振り返ってみても、別に出世双六と騒がれるほどの出世ではない。相変らずの貯蓄会社の外交員で、うだつがあがらぬと言ってしまえばそれまでだが、しかし、もう私にはたいした望みもない。私を誘惑する大阪の灯ももうすっかり消えてしまい、かえって気持が落ちついている。外交をして廻っていると、儲ける機会もないではなく、そしてまた何年かのちに、また新聞に二度目の秋山さんとの会合を書かれることを思えば、少しは……と思わぬこともなかったが、しかし、書かれると思えばかえって自分を慎みたい、不正なことはできないと思った。そして、秋山さんも私と同じような気持で、九州でほそぼそとしかしまじめに働いているのではなかろうか……。
 茶店を出ると、蝉の声を聴きながら私はケーブルの乗場へ歩いて行ったが、ちょこちょこと随いてくる父の老妻の皺くちゃの顔を見ながら、ふとこの婆さんに孝行してやろうと思った。そして、気がつくと、私は「今日も空には軽気球……」とぼそぼそ口ずさんでいました。


――織田作之助「アド・バルーン」


結局、双六を降りたときに我々がなにか悟りの境地に達した気分になるのは、日本が勝ち負けの議論をし始めたとたん、あまりに頭が悪いからである。

木登りと鞠

2021-07-15 23:11:09 | 文学


高名の木登りといひし男、人を掟てて、高き木に登せて梢を切らせしに、いと危ふく見えしほどは言ふこともなくて、降るるときに、軒たけばかりになりて、「過ちすな。心して降りよ。」と言葉をかけ侍りしを、「かばかりになりては、飛び降るとも降りなん。いかにかく言ふぞ。」と申し侍りしかば、「そのことに候ふ。目くるめき、枝危ふきほどは、おのれが恐れ侍れば、申さず。過ちは、やすき所になりて、必ず仕ることに候ふ。」と言ふ。あやしき下﨟なれども、聖人の戒めにかなへり。鞠も、難きところを蹴出だしてのち、やすく思へば、必ず落つと侍るやらん。

そもそも軒の高さというのはまだまだ十分に危ない。問題を一般化したいのなら、あと十センチみたいなところで気をつけろと言ったとかにした方がよくはないであろうか。最近の「ミスしました。失礼しました」という名人でも凡人ですらない日本国民に対してはもっと厳しい話が必要なのである。「あやしき下﨟」が聖人なみなのは当然である。未来まで責任を負わせられている生き方をせざるを得ないからである。これに対して、兼好法師の周りにいたような他人に指示をよこせと強要してばかりいる役人など、つめが甘い仕事ばかりしているに決まっている。なぜといえば、そこまで普通指示がないからだ。指示がない部分は自分のミスとはみなさないので「失礼しました」で済ませようとする。

こう考えてみると、軒の高さという中途半端のところで敢えて注意をするということは、――ある意味で職業人に対する嫌みなのではなかろうか。

そのあとで蹴鞠で喩えているところもふざけている。仕事そのもので説明しても馬鹿には分からないから、サッカーでいうとね、という説明なのではなかろうか?

 染八の肩から、こう蹴鞠の匊のような物体が、宙へ飛びあがり、それを追って、深紅の布が一筋、ノシ上がった。切り口から吹き上がった血であった。染八の首級は、碇綱のように下がっている撥ね釣瓶の縄に添い、落ちて来たが、地面へ届かない以前に消えてしまった。年月と腐蝕とのためにボロボロになっている井桁を通し、井戸の中へ落ちたのであった。
「タ、誰か、来てくれーッ」


――国枝史郎「血曼陀羅紙帳武士」


確かに、こういう鞠は気をつけなくてはならない。

「外からの批判」の帰趨

2021-07-13 23:18:30 | 文学


一日のうちに、飲食・便利・睡眠・言語・行歩、止む事を得ずして、多くの時を失ふ。その余りの暇幾ばくならぬうちに、無益の事をなし、無益の事を言ひ、無益の事を思惟して時を移すのみならず、日を消し、月を亘りて、一生を送る、尤も愚かなり。謝霊運は、法華の筆受なりしかども、心、常に風雲の思を観ぜしかば、恵遠、白蓮の交りを許さざりき。暫くもこれなき時は、死人に同じ。光陰何のためにか惜しむとならば、内に思慮なく、外に世事なくして、止まん人は止み、修せん人は修せよとなり。

兼好法師のこの意見を聞いているうちに思ったんだけど、――無駄な時間を過ごすべきでないというなら、その「飲食・便利・睡眠・言語・行歩」などをやめたらいいのではなかろうか。

実際、忙しいオタクのみなさんや研究者は、ほぼこれを省略しつつある人たちがいるのだ。しかし、なぜかよくわからんが、そういう生き方では悟りへの道は開けない。よく食べよく㋒ンチをし、よく眠りしゃべりあるく、これは重要なのだ。兼好法師は健康オタクなのであろう。

とはいえ、隠者である兼好法師はなぜ、こういう下々の無駄な生き方にいまだに文句をつけ「世事」を攻撃しつつあるのであろうか。今日は、授業で、黒船的「外からの批評」の罪について喋ったが、やたら、日本の民衆が分かっていないとインテリ?批判をくり返している論者は、兼好法師のような「世事」から離れよという主張をする者と逆に見えて、表裏一体なのである。その証拠に、大概、世捨て人みたいなタイプこそが、民衆の真実について語りがちである。

免★更◆講習も、内への外からの批評という、思い上がった上の発想から生じた。この場合は、思い上がりと言うより大衆の学校への怨恨を利用したものであったが、――思い上がりというのは、大概、こういう怨恨の昇華に過ぎないからありふれた出来事である。それぞれの学校での先生方はそれぞれの専門性で問題を解決する他ないわけで、外からの攻撃は失礼きわまりなく、容易に行ってはならないことなのである。しかし、こういう禁忌を破ると、逆に「現場は現場でやるしかない」という内発的な観念的反発がつよくなる。無論、それはそれで間違っているのである。領域を強制的にやぶると逆につくってはならない領域が内的に形成されてしまうのであった。

学者が一般に国家政策を忌み嫌っているのと同じで、先生方は、今度は「大学的な知」みたいな仮想に対して反感を抱くようになる。現実には、当事者主義というか、現場主義みたいなものはエゴイスティックにふくれあがっており、国家は今度はそれに媚びなくてはならなくなっている。馬鹿馬鹿しい限りだが、その民衆の味方はせねばならぬみたいな中学生的発想は、大学を民衆に従属させることでなんとか免責を狙っている。現場には現場の論理があるからといって、それを全ての学問をそれに従った形に変形させることなどできない。わかりやすいかたちでそれをやろうとすると、現場は教科書をきちんと理解していればよいみたいな、小学生でも間違いとわかることを実行することになるであろう――というか、なりつつある。なぜ、それがだめかというと、そういう目標で教育をおこなえば、せいぜい六十点ぐらいしか理解できていない状態に現実が落ち着くからである。この六十点というのは、テストでのみ現れる数値であって、大学の目指すある種の知の全体小説性みたいなものとは全く関係がない。実際は、6割ではなく、――もっと何だか分かったような気になるタチの悪い状態である。

というわけで、下手をすると、単なる認識=実力不足のために、教育でもなく支援でもない授業をやりながら、人間の進路などを「お世話をする」(というか強制の場合多し)体の教育現場が出来上がる。

お互いの自由をほっておけない性、――のせいもあろうが、根本は批評とか批判とは何かという哲学の問題である。

蔑視と場所

2021-07-11 23:18:02 | 文学


かく人に恥ぢらるゝ女、如何ばかりいみじきものぞと思ふに、女の性は皆ひがめり。人我の相深く、貪欲甚だしく、物の理を知らず。たゞ、迷ひの方に心も速く移り、詞も巧みに、苦しからぬ事をも問ふ時は言はず。用意あるかと見れば、また、あさましき事まで問はず語りに言ひ出だす。深くたばかり飾れる事は、男の智恵にもまさりたるかと思へば、その事、跡より顕はるゝを知らず。すなほならずして拙きものは、女なり。その心に随ひてよく思はれん事は、心憂かるべし。されば、何かは女の恥づかしからん。もし賢女あらば、それもものうとく、すさまじかりなん。たゞ、迷ひを主としてかれに随ふ時、やさしくも、面白くも覚ゆべき事なり。

有名な徒然草の「女性蔑視」の場面であるが、これは、百七段の全体のなかで解されるべき気分を表しているのではなかろうか。こういうひどく思われる女がいないと服装が乱れてどうしようもないのが男なのだ。彼が見ている人間の悲喜劇は、この部分を百七段の冒頭に置いて、男が女に評価されてあわてている云々をあとに持ってくるのがいいのかもしれん。。。「たゞ、迷ひを主としてかれに随ふ時、やさしくも、面白くも覚ゆべき事なり。」は、冒頭の「女の物言ひかけたる返事、とりあへず、よきほどにする男はありがたきものぞ」とて、――にループすると見た方がよい気がするのだ。

要するに、これは小林秀雄の「Xへの手紙」風に言えば、女は男の成長する場所だった、というわけだ。残念ながら?兼好法師は、女が自分の期待した者と違うことにパニックになっている発達段階にあるだけなのである。

 しかしその円頂閣の窓の前には、影のごとく痩せた母蜘蛛が、寂しそうに独り蹲っていた。のみならずそれはいつまで経っても、脚一つ動かす気色さえなかった。まっ白な広間の寂寞と凋んだ薔薇の莟の匀と、――無数の仔蜘蛛を生んだ雌蜘蛛はそう云う産所と墓とを兼ねた、紗のような幕の天井の下に、天職を果した母親の限りない歓喜を感じながら、いつか死についていたのであった。――あの蜂を噛み殺した、ほとんど「悪」それ自身のような、真夏の自然に生きている女は。

――芥川龍之介「女」


芥川龍之介は、虚構の中とは言っても女に対してひどいことをしすぎている。小林のいうようにそれが「場所」であるのだとしたら、彼が自分にもひどいことをしたのは必然である。兼好法師の女性蔑視の方が遙かにましなのである。

ビックフライオオタニサン

2021-07-10 23:53:48 | 文学


すべて男をば、女に笑はれぬやうにおほしたつべしとぞ。「浄土寺前関白殿は、幼くて、安喜門院のよく教へ参らせさせ給ひける故に、御詞などのよきぞ」と、人の仰せられけるとかや。山階左大臣殿は、「あやしの下女の見奉るも、いとはづかしく、心づかひせらるる」とこそ仰せられけれ。女のなき世なりせば、衣文も冠も、いかにもあれ、ひきつくろふべき人も侍らじ。

そうかもしれないが、異性の存在があってもあんまり身なりを気にしない人もいる。わたくしも長年そんな感じで、周りから心配されていたような気がする。これは文化の問題もあったのだ。わたくしはまだ、身なりがだらしない人間がヒーローだった時代の空気に侵されていたのだとおもう。大学時代の後半ぐらいから、周りに妙におしゃれな男が増えてきたなと思い始めた。下手すると、わたくしの学年まではどてらを着て共通科目を受けていたやつがいたからである。

それはともかく、いまは、身なりをきちんとできない脳のタイプがあることもなんとなく報告されるようになってきた。この世は実に様々だ。

――と思っていると、だいたい大谷★平みたいな男が現れて多くの女心などをかっさらってしまう。わたくしなんかも、大谷のホームランを観ていたら、女心が芽生えてきたくらいだ。わたくしは、自分より足の長い男を信用していないが、大谷は別枠である。まさにこの「別枠」とかいうのが恋心というやつである。

もっとも、テレビで清原和博氏が確か言っていたが、あの甘いマスクには闘争心が湧かない、というのも事実である。あのアッパースイングによるホームランは、山田ではなく岩鬼のものであって、岩鬼はああいう顔をしていなければならないというのが、昭和の逆説精神である。それが崩壊したのだ。

逆説がわからない世代が攻めてきたという感じが、いまはわたくしたち大学に巣くう人間なんかは思ってるのだが、――たぶん、こういう空気が大谷の誕生にも寄与しているはずである。物事にはいろいろな作用面があるのであった。

そういえば、教員★許◆新制度がどうやら廃止になるようである。この制度で発生した様々なゴタゴタや怨恨については、様々な側面から多くの研究がなされるべきだと思う。一番の被害者はむろん現役の教員だ。まったくとんでもないことに巻き込まれたものだ。が、世の中の全てのことに言えるように、この制度によって様々な出来事が生起し様々なことを浮かび上がらせたことも確かである。今度の廃止はいいことかも知れないが、我々は過ちを修正するときにもっと大きい過ちを犯していることがある。とにかく我々の愚かさをもっと深く深刻なものとして捉えておくことが必要だと思う。この制度に関わったわたくしの感想は、とても第一次安倍政権が馬鹿だったのだと要約できるものではない。

年々、わたくしが教室で眼の前にするのが、人間ではなく何かの観念であるように感じられてきたことだけ述べておく。観念と化した人間は非難は出来るが考察が出来ない。その観念がイデオロギーだったらまだましだが、大概はお題目である。我々はリテラシー能力を要求されるかたちで、そういったお題目による非難をしあうロボットになりつつある。考察とは内省であるが、それができないのは、内心の反発を調教することに長けた人間、つまり奴隷的である事態に他ならぬ。

組織や業界が持続できるかは、様々ないやがらせで殺された魂を保つことができるかが問題だが、その魂は様々な知的な研鑽によってしか保てない。疲労と絶望で勉強が出来なくなってしまうことが一番まずいのである。もともと纏っていた知的なオーラがそこで消えてしまい、じっくりものを考えるタイプが寄りつかなくなる。外部からの攻撃を意識しているうちに、自分たちの知的膂力が急降下してしまい、逆に外部からの改革と称して手を突っ込まれる理由をつくってしまうのである。これは大学を含めた教育業界の課題である。

我々の造った内的な制度、為政者が自分の過ちを単に認めるわけがない。大学という外部(ですらもはやないが)なしにもっと観念的に気持ちのいい統制に移行するに違いない。

又五郎伝説

2021-07-09 23:02:10 | 文学


尹大納言光忠入道、追儺の上卿を勤められけるに、洞院右大臣殿に次第を申し請けられければ、「又五郎男を師とするより外の才覚候はじ」とぞ、のたまひける。かの又五郎は、老いたる衛士の、よく公事になれたる者にてぞありける。近衛殿着陣し給ひける時、軾を忘れて、外記を召されければ、火たきて候ひけるが、「先づ軾を召さるべきや候ふらん」と、忍びやかに呟きける、いとをかしかりけり。

「老いたる衛士」も老いたりとは言えそもそもがたいしたものなので、身分が低くて年寄りでも流石、と言うほどではないような気がする。というか、たぶん、このお爺さんを事務方扱いしてほかの偉そうなやつが便利に使っていたに過ぎなかった。現代でも結構みかける風景である。

死を恐れざるが故なり

2021-07-07 23:58:01 | 文学


「牛を売る者あり。買ふ人、明日その値をやりて、牛を取らんといふ。夜の間に、牛死ぬ。買はんとする人に利あり、売らんとする人に損あり」と語る人あり。これを聞きて、かたへなる者の言はく、「牛の主、誠に損ありといへども、又大きなる利あり。その故は生あるもの、死の近き事は知らざる事、牛、既にしかなり。人、又おなじ。はからざるに牛は死し、はからざるに主は存せり。一日の命、万金よりも重し。牛の値、鵝毛よりも軽し。万金を得て一銭を失はん人、損ありといふべからず」と言ふに、皆人嘲りて、「その理は牛の主に限るべからず」と言ふ。又言はく、「されば、人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。愚かなる人、この楽しびを忘れて、いたづかはしく外の楽しびを求め、この財を忘れて、危ふく他の財をむさぼるには、志、満つる事なし。生ける間生を楽しまずして、死に臨みて死を恐れば、この理あるべからず。人皆生を楽しまざるは、死を恐れざるが故なり。死を恐れざるにはあらず、死の近き事を忘るるなり。もし又、生死の相にあづからずといはば、実の理を得たりといふべし」と言ふに、人いよいよ嘲る。

なんで最後に「生死の相にあづからずといはば、実の理を得たりといふべし」と日和るのか分からない。いやわかるんだが、なぜそうなるかちゃんと説明した方がよいのではなかろうか、そこが大事なのに。――いずれにせよ、こういうもっともらしく見える哲学をさしあたり馬鹿にしてしまう庶民も正しいように思うのである。なぜなら、この「かたへなる者」が言っていることを、死を恐れよではなく、メメント・モリ、などと多くの人が自覚する世の中がどれだけ陰惨なことになるかといえば、現代を見ればわかるからである。いまどきの一番のメメント・モリ的活動は何とか「活」となって現れている。受験活動、就職活動、婚活、終活、すべてが結果というある種の「死を思う」的精神を前提にした活動である。兼好法師のいう「損得」の支配する生き方はそれにあたる。

だからこの「かたへなる者」は、「メメント・モリ(死を思え)」ではなく「死を恐れよ」と言ったのである。というわけで、明日はたぶん死なないと思っている現代日本人は、損得野郎(宮台真司)になるわけである。もっとも、結果が作品となっているようにみえる物書きの場合はどうなのであろう。

第一、小説が書けなくなったと云いながら、当面のスタコラサッちゃんについて、一度も作品を書いていない。作家に作品を書かせないような女は、つまらない女にきまっている。とるにも足らぬ女であったのだろう。とるに足る女なら、太宰は、その女を書くために、尚、生きる筈であり、小説が書けなくなったとは云わなかった筈である。どうしても書く気にならない人間のタイプがあるものだ。そのくせ、そんな女にまで、惚れたり、惚れた気持になったりするから、バカバカしい。特に太宰はそういう点ではバカバカしく、惚れ方、女の選び方、てんで体をなしておらないのである。
 それでいゝではないか。惚れ方が体をなしていなかろうと、ジコーサマに入門しようと、玉川上水へとびこもうと、スタコラサッちゃんが、自分と太宰の写真を飾って死に先立って敬々しく礼拝しようと、どんなにバカバカしくても、いゝではないか。
 どんな仕事をしたか、芸道の人間は、それだけである。吹きすさぶ胸の嵐に、花は狂い、死に方は偽られ、死に方に仮面をかぶり、珍妙、体をなさなくとも、その生前の作品だけは偽ることはできなかった筈である。


――坂口安吾「太宰治情死考」


たしかにそうであり、――そういえば太宰というのは、上の心中相手だけでなく案外自分の惚れた女について書かない書き手であったのかも知れなかった。このまえ授業で「カチカチ山」をやったときに、「惚れたが悪いか」と言い放つ狸を扱ってみせる太宰が、本当に「惚れる」人間であったのかと学生に問いかけようとしてその言葉を飲み込んだ。直接太宰に会っている坂口安吾には何か確信があったのかも知れないが、作品しか目の前にしていない我々はそんなことを云々する資格があるかどうかわからないからである。

If I can go that distance, you see, and that bell rings and I'm still standin'

2021-07-06 23:42:30 | 文学


ある人、弓射ることを習ふに、諸矢をたばさみて的に向かふ。師のいはく、「初心の人、二つの矢を持つことなかれ。のちの矢を頼みて、初めの矢になほざりの心あり。毎度ただ得失なく、この一矢に定むべしと思へ。」と言ふ。わづかに二つの矢、師の前にて一つをおろかにせんと思はんや。懈怠の心、自ら知らずといへども、師これを知る。この戒め、万事にわたるべし。道を学する人、夕べには朝あらんことを思ひ、朝には夕べあらんことを思ひて、重ねてねんごろに修せんことを期す。いはんや一刹那のうちにおいて、懈怠の心あることを知らんや。なんぞ、ただ今の一念において、ただちにすることのはなはだかたき。

「懈怠の心、自ら知らずといへども、師これを知る」、なるほど、兼好法師は、生徒の主体性などという幻想を批判しておるのね――とか言っている場合ではない。我々にとって、師が師であることこそ実現が難しいのである。もっとも、師は、上のような全能性を行使してこそ師であるから、現象としてそういうものが確立し始めないといけないと考える人もいるであろう。かくして、クソ教師でも尊敬せよみたいなことが説かれたりもするわけである。

もっとも懈怠の心とは、仏教的に――たんにさぼっているのではなく、悪の積極的公使だと考えた方がよいのだ。だから、教師は悪を抑圧するつもりでやればよいことになる。実際、日本がかくも落ちぶれた理由のひとつに、懈怠の心を放置してきたというのがある。

今日、授業で少し「ロッキー」(1976)を扱ったのだが、――ロッキーがなぜ無謀なアポロとの対戦に向かうかと言えば、最初は自認の問題であった。恋人のエイドリアンに向かって喋っているのだが、彼女には背を向けて自分に向かっている。

If I can go that distance, you see, and that bell rings and I'm still standin', I'm gonna know for the first time in my life, see, that I weren't just another bum from the neighborhood.


自己肯定といい、共同体といい、何を言っても我々が空っぽな理由が I'm gonna know for the first time in my life, see, that I weren't just another bum from the neighborhood のような感情を、本物のごろつきに奪われたからである。懈怠とかいう問題ではない。

ペットと怪獣

2021-07-05 23:04:35 | 文学


「奧山に、猫またといふものありて、人を食ふなる」と、人の言ひけるに、「山ならねども、これらにも、猫の経あがりて、猫またに成りて、人とる事はあなるものを」と言ふ者ありけるを、何阿弥陀仏とかや、連歌しける法師の、行願寺の辺にありけるが聞きて、ひとり歩かん身は、心すべきことにこそと思ひける比しも、ある所にて夜ふくるまで連歌して、ただひとり帰りけるに、小川のはたにて、音に聞きし猫また、あやまたず足許へふと寄り来て、やがてかきつくままに、頸のほどを食はんとす。胆心も失せて、防がんとするに、力もなく足も立たず、小川へ転び入りて、「助けよや、猫また、よやよや」と叫べば、家々より松どもともして走り寄りて見れば、このわたりに見知れる僧なり。「かは如何に」とて、川の中より抱き起したれば、連歌の賭物取りて、扇・小箱など懐に持ちたりけるも、水に入りぬ。希有にして助かりたるさまにて、はふはふ家に入りにけり。飼ひける犬の、暗けれど主を知りて、飛び付きたりけるとぞ。

おかしい話にように思えるが、猫また怪獣ではなく、自分の飼い犬だったというところがかわいい話である。この話で大笑いする人間はなんか非人情な気がする。

飼い猫や飼い犬が自分を食う空想をしたことがない人はいないはずである。我々は周囲の動物にも一部は常に食われる。刺されたり、世話を焼かせられたりしているではないか。兼好法師の眼には、低いプライドを傷つけられる愚かな人間達ばかりが映っている。連歌で食っていたっていいではないか。

(四月の夜、とし老った猫が)
友達のうちのあまり明るくない電燈の向ふにその年老った猫がしづかに顔を出した。
(アンデルゼンの猫を知ってゐますか。
 暗闇で毛を逆立てゝパチパチ火花を出すアンデルゼンの猫を。)
実になめらかによるの気圏の底を猫が滑ってやって来る。
(私は猫は大嫌ひです。猫のからだの中を考へると吐き出しさうになります。)
猫は停ってすわって前あしでからだをこする。見てゐるとつめたいそして底知れない変なものが猫の毛皮を網になって覆ひ、猫はその網糸を延ばして毛皮一面に張ってゐるのだ。
(毛皮といふものは厭なもんだ。毛皮を考へると私は変に苦笑ひがしたくなる。陰電気のためかも知れない。)
猫は立ちあがりからだをうんと延ばしかすかにかすかにミウと鳴きするりと暗の中へ流れて行った。
(どう考へても私は猫は厭ですよ。)


――宮澤賢治「猫」


近代では、怪獣は、化学反応の現象の中から現れる。これで、我々との物的つながりが明らかになった。そのことで逆に、ペットに対しては、スピリチュアルな何かを見出さなくてはならなくなったのである。

結論:キングコング対ゴジラをはやく観たい

秘蔵と破壊

2021-07-03 23:50:17 | 文学


或者、小野道風の書ける和漢朗詠集とて持ちたりけるを、ある人、「御相伝、浮ける事には侍らじなれども、四条大納言撰ばれたる物を、道風書かん事、時代やたがひ侍らん。覚束なくこそ」と言ひければ、「さ候へばこそ、世にありがたき物には侍りけれ」とて、いよいよ秘蔵しけり。

有名な段だが、小野道風が死んでからなった「和漢朗詠集」を書いているという珍品を秘蔵する――そのしゃれた男は実に芸術というものを理解しているいるのであった。紫式部が書いた「万延元年のフットボール」なんか実に読みたい感じではないか。

是に比べて、偽物だとよといわれて日本刀でその掛け軸をたたき切る小林秀雄は、芸術家というより、ほぼプロレタリアートといえよう。

それに引きくらべて定型の創作詩は、曲節の変化によって姿を変えることから超越してしまい、専ら視覚を媒介として読むようになるために、その型を表現上の一つの習慣として固定させるようになるものであるらしい。詩型にはその詩型独特の情趣が生れてくるので、和歌は宮廷の文字的詩歌に定着すると同時に、伝統の詩歌となった。ことに和魂漢才というように、和漢ということが宮廷ではっきりと相対立する観念として意識されたことは、漢詩に対する和歌の用途をひろくもしたし重くもした。

――風巻景次郞「中世の文学伝統」


ほんとかどうかしらないが、上の徒然草の御仁が掛けていたのが和漢朗詠集であったことが気になる。やはり、これは偽でも真でも大事にするしかない。これに対して、小林の見ていたのはたしか、良寛で、まあ勝手な想像であるが、小林の芸術観はむしろ、風巻が言っているどんどん変化しうる木曽節みたいな民謡みたいなものの働きであって、とりあえず、創造するためにはまず破壊である。