★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

あまりに適応過剰な

2024-10-04 23:27:00 | 思想


ひとつの思想の意味を顯はにするためには、我々はただそれが如何なる行爲を産み出すに適してゐるかを決定することが必要である。行爲が我々にとつて思想の唯一つの意味である。或る思想の眞理性を決定するものは、それの論理的歸結でなくして、却てそれの實踐的歸結(practical consequence)である。事實、ひとつの事柄に關して論理的には各齊合的なる二つ以上の理論の成立の可能なことは屡あるのであつて、それらの間にあつてその如何なるものが眞理であるかはひとり實踐ばかりが裁斷し得ることである。

――三木清「唯物史観と現代の意識」


現代の風物詩と言えば、やたら反抗的にみえて過剰適応の人間である。異常な奴とは言いがたいものの、わたくしもその一人であろう。

木曜日ははじめての「現代短歌」についての授業をしたが、ニーチェの「畜群」とか「我が国は西洋文学に占拠されておる」とか町史に載って授業に適応しまくり、我ながら畜生味があってまずかった。来週から上品にゆきたいものだ。それはともかく、和歌はほんと苦手だったので、ここ三年ぐらい少しずつ予習してたが、やはりこのぐらいは準備が必要であることだ。初等教育なんかでも、習慣化してしまったとはいえ、――教材研究とかをやはり全体的になめているわな、本来もっともっとやらなきゃ授業にならないんじゃないのかな?

――というかんじで、学生への説教にまできちんと適応している。

ランプ

2024-10-02 23:34:09 | 日記


やがてゴリゴリする白縮緬の兵児帯などを袴着にまでしめさせて、祖父は一つのランプと一張りの繭紬の日傘とをもって国へ帰って来た。そのランプというものに燈を入れ、家内が揃ってそのまわりに坐っていると、玉蜀黍畑をこぎわけて「どっちだ」「どっちだ」と数人の村人が土を蹴立てて駆けつけて来た。火元はどっちだと消しに集ったので、明治初年の東北の深い夜の闇を一台のランプは只事ならぬ明るさで煌々と輝きわたった次第であった。得意の繭紬の蝙蝠傘も曾祖母はバテレンくさいと評した由。

――宮本百合子「明治のランプ」


寝不足でランプが回っていた。

二刀流

2024-10-01 21:51:05 | 文学


一九三四年のブルジョア文学の上に現れたさまざまの意味ふかい動揺、不安定な模索およびある推量について理解するために、私たちはまず、去年の終りからひきつづいてその背景となったいわゆる文芸復興の翹望に目を向けなければなるまいと思う。
 知られているとおり、この文芸復興という声は、最初、林房雄などを中心として広い意味でのプロレタリア文学の領域に属する一部の作家たちの間から起った呼び声であった。それらの人たちの云い分を平明に翻訳してみると、これまで誤った指導によって文学的創造活動は窒息させられていた、さあ、今こそ、作家よ、何者をもおそれる必要はない、諸君の好きなように書け、書いて不運な目にあっていた文芸を復興せしめよ、という意味に叫ばれたと考えられる。


――宮本百合子「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」


この二日間あまり眠れなかったので、ブルクハルトでも再読してみたが、よけい眠れなくなった。睡眠も起きていることと一緒で習慣化しないと続かない。ブルクハルトは、例の文芸復興の論文をかいてから、あとは大学教師として綿密な講義を続けて一生を終えた。学問との二刀流みたいなかっこつけなかったのはえらい。デリダやらフーコーやらは講義緑を出版する道に突入しかっこをつけている。

大リーグで最多安打を打って賭博で追放されたピート・ローズが亡くなった。思うに、彼はイチローと一平氏の二刀流だったのである。

我々は覚醒と睡眠の二刀流をすでにやっている。