『無論それは僕なんぞに解らないんです。アノ人の言ふ事行る事、皆僕等凡人の意想外ですからネ。然し僕はモウ頭ツから敬服してます。天野君は確かに天才です。豪い人ですよ。今度だつて左樣でせう、自身が遠い處へ行くに旅費だつて要らん筈がないのに、財産一切を賣つて僕の汽車賃にしようと云ふのですもの。これが普通の人間に出來る事ツてすかネ。さう思つたから、僕はモウ此厚意だけで澤山だと思つて辭退しました。それからまた暫らく、別れともない樣な氣がしまして、話してますと、「モウ行け。」と云ふんです。「それでは之でお別れです。」と立ち上りますと、少し待てと云つて、鍋の飯を握つて大きい丸飯を九つ拵へて呉れました。僕は自分でやりますと云つたんですけれど、「そんな事を云ふな、天野朱雲が最後の友情を享けて潔よく行つて呉れ。」と云ひ乍ら、涙を流して僕には背を向けて孜々と握るんです。僕はタマラナク成つて大聲を擧げて泣きました。泣き乍ら手を合せて後姿を拜みましたよ。天野君は確かに豪いです。アノ人の位豪い人は決してありません。……(石本は眼を瞑ぢて涙を流す。自分も熱い涙の溢るるを禁じ得なんだ。女教師の啜り上げるのが聞えた。)
――石川啄木「雲は天才である」
よくきく都市傳説で、東大入ったら天才がいて自信なくしたみたいな話は、高校の進学校で実はもう気付いていたことを誤魔化しているだけであろうし、東大だけでなく津々浦々の大学で起こっていることだ。小学校でも起こっている。そしてそれは相手が天才じゃなく、少しの違いで自分が劣ってるかも知れないと、三年生ぐらいで、つまりかなり後になって気付いたことの言い訳である。天才は自分の視野の外から急襲するものであって、ショックをうけている暇はない。
そもそも自称天才、他称天才が多すぎる。
あと雲は天才です。
――それはともかく、文学界において一番天才が多いのは短歌の世界ではないか。小説史、批評史、詩史、短歌史すべて授業でほんと雑にやってみたが、いちばんやってて面白かったのはいま主題科目でやっている短歌史であることだ。ヒューマンとしてあかん奴らばかりだし、定期的に滅亡論やってるのもいい。
いっぱいの星がべつべつに瞬いてゐる。オリオンがもう高くのぼってゐる。
(どうだ。たいまつは立派だらう。松の木に映るとすごいだらう。そして、そうら、裾野と山が開けたぞ。はてな、山のてっぺんが何だか白光するやうだ。何か非常にもの凄い。雲かもしれない。おい、たいまつを一寸うしろへかくして見ろ。ホウ、雪だ、雪だ。雪だよ。雪が降ったのだ。やっぱりさっき雨が来たのだ。夢で見たのだ。雪だよ。)
空気はいまはすきとほり小さな鋭いかけらでできてゐる。その小さな小さなかけらが互にひどくぶっつかり合ひ、この燐光をつくるのだ。
オリオンその他の星座が送るほのあかり、中にすっくと雪をいたゞく山王が立ち黒い大地をひきゐながら今涯もない空間を静にめぐり過ぎるのだ。さあみんな、祈るのだぞ、まっすぐに立て。
(無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇
我今見聞得受持 願解如来第一義)
――宮沢賢治「柳沢」
江戸俗間の古典文學教養にして、その常識に於て市井に流れ、その抒情に於て人心にひびいてゐたのは、古今集に如くものがなかつたのだらう。古今集のほかにあげるべきものが一つある。唐詩選である。
――石川淳「江戸人の發想法について」
石川淳の勉強が圧倒的に欠けている。
とにかく、私の庭の朝顔は半年ぐらい咲いている。実に季節・時間の経過を無視している、永遠の今とか言う感じである。
しかし、いつのまにか新庄とか藤川が監督の世界に我々は住んでいるのである。まだ広島の監督が古葉さんみたいな世界が続いている気がしていたんだが。。
三蔵想ふやう、我今此女怪に接禮もせず、物も喰ず居らば、必定我を害すべし。北上徒弟們未だ消息無ければ、身を遁るべき道なし。我且忍びて渠が機嫌を伺ふべしと、女怪に向ひて、「吾今女菩薩の誠心を感ず。貧僧は素浄の食物を用ふべし」 女怪三藏の詞を聞きて心の中大いに催喜び、一個の砂糖饅頭を把り二個に劈破て三歳に興ふ。三蔵是を把りて喰し、赤一箇の内饅頭を取り女怪に興ふ。女怪笑うて曰く「御弟怎麼ぞ饅頭を割らずして我に興ふるや」三蔵合掌して曰く「我原來桑門の身なり。那ぞ葷を破らんや」
ある女性研究者が「写真に修正いれるとか甘いわ、わしなんか染みを物理的に取ったで」とか言っていたのが印象に残っており、別にそう言われなきゃたいした内容ではないが、金と合理性を得ることはいいこととは限らんと思った。研究者?の言葉はかかる倍音みたいなものをすごく伴うので気を付けよう。思うに、庶民が三蔵に普通に同情するのに対し、かならずいいくらしをしている色気を放つ女怪なんかにわれわれは似ているのである。
現代の女傑と言えば、野村とか落合の嫁さんであろうが、――わたくしは落合のファンだったので、ロッテのユニフォームのひとはみんな落合にみえる現象が私にはあった。世界の大谷のファンがドラゴンズのユニフォームを見ただけで大谷と錯覚してつい応援し、にもかかわらず最下位になったドラゴンズとの差別化をはかり、ドジャースがユニフォームを変えるところまでがわたくしにはみえる。――それはともかく、落合家の様子をテレビとかネットで見ると、あらぶの豪邸みたいで、落合選手が女傑にとらわれた三蔵みたいにみえるから面白い。三蔵も思いきって女怪の誘惑につられて三蔵ならぬ三冠王になれたかもしれない。禁欲ばかりではなく、女傑からのプレッシャーの効果を三蔵みたいなタイプは舐めているのである。
このまえも、細がイスラムとユダヤはお寺の隣に神社みたいにすればいいんじゃないと言ってたが、こういう意見を世の政治家も言われているのかもしれない。男中心の政治じゃパワーバランスか戦争しか思いつかないのではあるまいか。
要領よく最小限やることをやってコミュニカティブにやりおえることをいいことのように言い、実際そのように動く男集団には、その実女傑的マネージャー的な人がおり仕事を完成させるために微調整に走り回る事が多い。そういう依存体質の男をコミュニケーション能力が高いと判断するやつも同類である。だから面接試験とかでコミュニケーション能力が高いですねみたいなことを判断するのは危険であって、所謂「*だけしてて事務能力がない」みたいな男みたいな人間(女性でも同様)がなぜかますます増える。不思議でも何でもないわけだ。信用すべき人間でないのは、ボスが替わったときに急にだらしなくなったり身内ネタを喋るようになったりする人間で、いざという時にたよりになるやつにもかなりそういう傾向が見られる。
早稲田と慶應の自意識過剰合戦とか、昔から馬鹿だな、なんだかな、とおもってみていたが、あれは田舎の別の丘の上に立ってる男子校ふたつが喧嘩しているようなもんだ。田舎の高校閥の争いの意地の張り合いを想像すれば納得できる。そしてときどき早慶戦みたいに丘の下で不良どもが一戦やらかして人心を鎮めてる。要するに、この二校は本質的に高校であって大学じゃねえのだ。男子だけでやってると、かように、大学というものはありえない。
村上春樹の主人公に限ったことではないが、engagement が責任と結びついた概念であることからの逃避が広くあり、自由が責任に結びつくことを意地でも避ける精神的な技術がこれでもかと発達している。これもマネージャーに依存しながらある種の男が群れたせいであろう。そりゃ責任を誰かに取らせて自由になりたいからである。
ダントが物語り文と呼ぶのは、時間的に隔たった二つ以上の出来事(E1、E2)を考慮しながら、直接にはE1だけについて記述するような文のことである。具体的な例で言うと、たとえば結婚式の披露宴で媒酌人が新郎新婦を紹介する。 本日めでたく結婚の式をあげられたご両人が最初に出会ったのはかくかくの場所で、どこどこのテニスコートで、と。これはいまのダントの言い方でいうと物語り文の一例になる。
――黒田亘「時間と歴史」
テニスコートで出会うご両人の物語文はノーサンキュウ。皇室批判ではない。
それが如何に新しく見えようとも僕らはそこに分離派―機能主義―バウハウスの思想につながるものしか発見し得ないのである。
もはや、数学者は、パスカル的瞑想によって数学しないだろう。それは純粋思考の中から数学の射程をみつけだす先験的自我ではなく、歴史の中で問題をみつけだしながら己の射程を開発してゆく歴史的主体である。もし僕の内部で詩と数学が剣士のようにすれちがう一瞬があるとすれば、この歴史的主体としての自覚を抜きにしては考えられないであろう。詩人と数学者が歴史を収斂させ、現在を盗む強盗となるのは、正にこの一瞬なのである。
――高内壮介『暴力のロゴス』
北野武の『首』の感想を大学でも家庭でも言えないので、庭のカエルに言った。
ネットでは、ノーベル賞に勝手に落選し続けているとみられる――都市傳説の村上春樹がミソジニーだ何だと話題になっていた。そりゃまあミソジニーといえばそうなのであろうが、作品と成立事情をふまえればもっと壮大な村上春樹の悪魔のような姿が浮かび上がるであろう。
とはいえ、わたくし、村上春樹をあまり読む方ではない。しかしあれだ、「ノルウェイの森」なんか、周到に近代文学化された源氏物語といったとこじゃないかなと思う。何十年も読んでないからあれであるが。文体からも言えることだけど、――あのネットリした否定的文体は、とにかく先行する文学やものごとや自意識を全部否定してゆく姿勢で「普通」の人が物語を紡ぐとどうなるかというゲームをやってるような印象を持つ。
彼は基本的には学生運動の作家なのだ。野心的でプロレタリアート的で革命的で平凡で、を全部やってるんじゃないだろうか。暴力的なセクトの心情をマスクをひっぺがえすようにヒックりかえしているから、当時の運動族にはたまらなくいやだったはずだが、村上春樹の誤算はあまりに有名になりすぎて、特定のセクトに喧嘩を売る類いの文学がポピュラーになってしまった結果、どこに拳をふりあげていいのかわからなくなっているという事態だ。セクトのひとに良くありがちなことだが、自分の憎むセクトの相手の性質が、セクト以外の人間にも大きく当てはまるかも知れないということをつい忘れてしまうのである。
で、たぶんいつからか、村上は大江健三郎的な死者に導かれて的テーマをもっとそれらしくやることにしたのである。
みんな言ってることだろうが、――日本近代文学の語り手の潜在的な幽霊性みたいなものがあって、村上春樹はそれをほんとにそれらしい死者が語る日常、みたいな情感を語り手に乗せたと思うのである。このような解離感は、しかし学生運動崩れだけの問題ではなかった。
しかしまあ、大江が政治=性のことを語るのに地上に降りてきてしまったのに対し、村上春樹は死者の側から語ることに拘った。なにしろ語り手の「僕」が死者のくせに恋人と同衾出来るのだ。光源氏を夜這いが得意な死霊にする感じである。「ノルウェイの森」でやはたら同衾して死ぬ、代わりにやってきた人と同衾、みたいなのが続くのはそのせいだ。オウム事件の被害者の家族へのインタビュー集があったけど、あれ、村上春樹は被害者=死者の側から見ている。でもそれは連合赤軍の死者とちがって普通の人だから特別に何かを主張することはないんだが。
それはともかく、定期的に村上春樹の『ノルウェイの森』、いや『羊をめぐる冒険』が書庫のどこかに紛れる。
「どうだ森の女は」
「森の女という題が悪い」
「じゃ、なんとすればよいんだ」
三四郎はなんとも答えなかった。ただ口の中で迷羊、迷羊と繰り返した。
漱石と同様、読者をストレイ・シープにするのが村上春樹である。
「私はどうしても貴女と離れることができませんでした。それと同時に私は妻子とはなれることもできませんでした。私は世間なみの紳士としての対面と、夫として父としての義務とをはたしつつ、しかも貴女との愛を永久につづける手段を考えました。それがあの雑司ヶ谷の実験室での生活でした。しかし貴女が妊娠されたことを知ったとき、その露覚をふせぐために更に大胆な第二段の手段に訴えねばなりませんでした。人造人間の実験がそれであります。昨日は貴女に麻酔薬を用いて、老婆に頼んで、愛児を講演会場につれてゆきました。どうにか会場ではごまかすことができましたが、私の良心をごまかすことは遂にできません。世間を欺き、家庭を欺き、学問を冒涜し、最後に、恋人をすら欺かなければならなかった不徳漢にとって、残された道は死あるのみです。子供のことはよろしく御願いします」
房子は博士の遺書を抱いて産褥の上にいつまでもいつまでも泣きくずれたのであった。
――平林初之輔「人造人間」
あるわるい科学者が、大谷とダルビッシュと山本と王と落合とイチローの細胞を採取して人造人間を作りました。できあがった人造人間は、野球ファンでガンダムファンで大食いで大男で一生楽しく暮らしました。
平林的な想像力はいまや鳥山明や庵野秀明にとどまらず、わたくしなんども起きがけに思いつく程度のものにすぎない。もうわれわれはどうしようもないところにきているのである。ノーベル文学賞は、韓国のハン・ガンであった。いくつか読んだだけだが、このひといつかノーベル賞なんじゃないかと思っていたがやっぱりとったね。わたくしは親父の作品のほうがすきなのであるが。
ノーベル平和賞を日本の被爆者団体が受賞した。遅すぎる。
崩壊の足音は、80年代から十分に聞こえていた。そういう音を少女まんがなんかが聞いていた。「記憶の技法」の吉野朔実、いろいろとすごいわけだが、主人公たちの髪の毛のぼさっとしたかんじがいいとおもう。「恋愛家族」という幕間劇もすごい。わたくしは、この作家の妙に完成度の高いお話のしめ方が不気味であったが、作者も50代で亡くなってしまった。
高校の頃、手のりインコを飼っていたので、ときどきいまでも後ろから羽音がしてわたくしの肩に止まるものがいる。
『群像』の十月号に載ってた、白岩英樹氏の猫随筆がこのよのなかまだ捨てたものではない感じを醸し出していたが、漱石も内田百閒でも誰でも、動物の登場には深い絶望が潜んでいて、――というかそれを引っ張り出すために動物がでてくるのである。われわれは、動物を見るときだけ、自分のひどい顔を見ずに済む。
そういえば、ドラえもんの声優さんも亡くなったそうである。ドラえもんや悟空の聲を高齢女性がやっていたということからして、日本人の求めているのは、おばあちゃんのような友達ではなかろうか。
シュペングラーではないが、文明が老いるというのは本当である。シュペングラーもたぶん予期してたと思うが、老いは死ではなく、死ねなくなっているということなのである。死は生を生むが老いは何を生むのか、われわれの文化はそれをめぐって寝返りを打っている。
ヘロインは、ふらふら立つて鎧扉を押しあける。かつと烈日、どつと黄塵。からつ風が、ばたん、と入口のドアを開け放つ。つづいて、ちかくの扉が、ばたんばたん、ばたんばたん、十も二十も、際限なく開閉。私は、ごみつぽい雑巾で顔をさかさに撫でられたやうな思ひがした。みな寝しづまつたころ、三十歳くらゐのヘロインは、ランタアンさげて腐りかけた廊下の板をぱたぱた歩きまはるのであるが、私は、いまに、また、どこか思はざる重い扉が、ばたあん、と一つ、とてつもない大きい音をたてて閉ぢるのではなからうかと、ひやひやしながら、読んでいつた。
ユリシイズにも、色様々の音が、一杯に盛られてあつた様に覚えてゐる。
音の効果的な適用は、市井文学、いはば世話物に多い様である。もともと下品なことにちがひない。それ故にこそ、いつそう、恥かしくかなしいものなのであらう。聖書や源氏物語には音はない。全くのサイレントである。
――太宰治「音について」
確かに「聖書」や「源氏物語」には音がないというのはわかる。しかし、音がないことがいいことかどうかはわからない。
フルトヴェングラーの録音聞いていると不思議なのは、――雑に言ってフォルテの種類の多さで、なんで更に次の大きさがあるんだみたいな場面がある。それは人間的でも非人間的でもなく、下品でも上品でもないのだ。彼の音楽は原爆の裏返しのような感じがする。原爆にも音がない。
兩側に櫛比して居る見世物小屋は、近づいて行くと更に仰山な、更に殺風景な、奇想的なものでした。極めて荒唐無稽な場面を、けばけばしい繪の具で、忌憚なく描いてある活動寫眞の看板や、建物毎に獨特な、何とも云へない不愉快な色で、強烈に塗りこくられたペンキの匂や、客寄せに使ふ旗、幟、人形、樂隊、假装行列の混亂と放埓や、其れ等を一々詳細に記述したら、恐らく讀者は竦然として眼を掩ふかも知れません。私があれを見た時の感じを、一言にして云へば、其處には妙齢の女の顔が、腫物の爲めに膿たゞれて居るやうな美しさと醜さとの奇抜な融合があるのです。 眞直ぐなもの、眞ん圓なもの、平なもの、凡て正しい形を有する物の世界を、凹面鏡や凸面鏡に映して見るやうな、不規則と滑稽と胸悪さとが織り交つて居るのです。正直をいふと、私は其處を歩いて居るうちに、底知れぬ恐怖と不安とを覺えて、幾度か踵を回さうとしたくらゐでした。
――「魔術師」
谷崎の主人公が不安とともに幻視したものは、いったい群衆の中の何だったのか?ネットはこんな風にみえなくもない。
わたくしもまた、新聞や雑誌はまともなのにネットではそれが誤読や曲解によって崩壊していると思い込んでいたが、最近文芸誌や総合誌をいくつか読んで、――やはりそう事態は単純ではなく、ネットの把握不能な過剰さに比して、雑誌のそれは毒にも薬にもならないかんじにむしろなりつつある気がした。学会誌だって例外ではないかもしれない。ネットは確かに刹那的だが、対抗すべき雑誌は逆に月刊のペースが逆にはやすぎるのだ。思うに、コミュニケーション能力とか言い始めてから、論説みたいにコミュニケーションとはいえないものでもコミュニケーションみたいになってきている、書き手の「意識」においてそうなのである。こんな状況では、読み手を信用していないと、ものすごく質が落ちたことをしてしまう。わたくしにもその自覚がある。社会が信用をうしなうと、こういうことが起きるのであった。こんな状態では、コンスタントにいい仕事をすることはできない。
社会への過剰適応は、もはやひそかに社会問題なのだとおもうが、――よくみられる症状は、上の「意識」の欠落である。一方で発達障害的に括られ、一方でこんな社会で業績を積み重ねる条件と化す。上の困難から導き出される現象である。
『夜明け前』を読んでいると、同じような適応に関する問題を想起させられる。むかし芳賀登が言っていたように、島崎藤村の親父の国学への接近はある程度農政学的な興味からだったとも思われる。私の母方の祖父も、国語の教師であって且つ農業の経営研究所の看板を掲げていた。長野県での白樺派や京都学派の勉強会みたいな観念的な運動は目立つが、他方で農業と結びついた保守的とも見えるいろんなものがあったに違いない。たぶん彼らはそれを十分文字にすることに失敗しているのだとおもう。藤村もたぶん失敗している。こういうことは、たった一代でも継承に失敗するのだ。近代社会の恐ろしさかも知れない。
きゅうに寒くなりましたから、頭が働きません。
私は少女のころから古い物が好きで、骨董とまではいかないが家中に古物がひしめいている。その古物の中に古びた私が居坐っているから、わが家はまるでお化け屋敷である。
ここまでくると、高峰秀子様はただの骨董趣味の男――たとえば小林秀雄も凌いでいるといえる。小林の場合はどことなく骨董趣味も転向の一種という気がするが、秀子様は非転向だ。しかもその骨董趣味は水木しげるに通じる道を示している。
そういえば、そもそも名前的に、小林秀雄と高峰秀子、どことなく似ており、秀を軸に非対称なのであった。つまり秀子様の勝ちである。顔も秀子様の勝ちであるがあまりに自明なのでいままで言わなかっただけだ。
マルクスが美人の幼なじみと結婚したのはマルッキズムによる(←黙れ
最近駅で聞いた男子高校生の会話で面白かったのは、――「おれの顔、七十五歳の浜辺美波には勝ってる気がする」「いや負けてるだろ」であった。
今日の授業中の問題発言は次の通りである。
「トランプはまあ近くに居る牛に似ているんだろうな。言語と動物との接地問題だ」
トランプの国会突入問題のときにも論じられてたが、正直なところ、これからの政治家は動物を思わせるかがあれになってくると思う。いまの首相もどことなく歩いている牛を思わせる。小泉以降の首相がみんな人間しか感じないのと対照的である。石破氏はもしかしたら、仙厓義梵の「犬」みたいにかわいく見えてくる資質がある。
教育界は、指導要領に従って資質みたいなものにとらわれている。これだって、単に馬鹿とは言いきれない。子供に犬や猫を見ようとしているかも知れないからだ。みんな新たな「顔」が欲しいのだ。
そういえば、綿矢りさ氏のことは作品以外まったくしらなかったが、京都の生まれで東京の私大、太宰治が好きで小説かけると思った、など『すばる』に載ってた講演録で知った。がっ、まったくイメージ通りである。作品から作者のイメージまでつくられてしまうことは、まさに太宰的でもある。これに対して、おなじ雑誌に載ってた最果タヒ氏の、太宰の「顔」についてのエッセイなぞ、大きく大衆の欲望に逆らうもので、やはりこのひとは古典的な近代文学の末裔なのである。
昔の人間は常住死と隣り合わせて生きてきたんだ。死と隣合わせていたからこそ、彼らは生を知っていた。生の尊さ、生の烈しさをつまり生そのものの意義を知っていたのだ。だからバカな生き方をあまりしなかった
――梅崎春生「つむじ風」
隣り合わせなのは死だけではない。動物もそうであった。
三島由紀夫がむかし、早稲田の学生に向かって、人間弱者をかわいそうとおもうのはある程度本能だが現代人は人間を超えて犬とか猫をかわいがる方向に行ってしまったみたいなことを言っていた。しかしペットは家畜との生活と一緒で所謂人間的なものへの第一段階としての同化であるきがする。わたくしは、信州教育のアレで、教室に動物がいた時期がある気がするが、あれは情操教育というか人間化教育なのである。
七〇年代、世界的に動物なしの人間化が試みられたが、うまくいかない。「ダーティハリー2」をはじめてみたが、キャラハンという男、野性味と合理性の合体で実に不安定なかんじに仕上がっている。自分の性質はすぐさま周囲もそうだとわかる。そうすると、頼るのは何か、法律か?正義か?という自問自答がはじまる。山羊に聞いてみれば、どちらでもないことはあきらかだ。
最近首相になった石破茂氏はどうであろう?動物的であろうか?人間的であろうか?氏のしゃべり方とかゆっくり迫り来るlogicにたいして「ネットリ」みたいな擬態語を用いる人もいるようだが、案外、それは動物的でも人間的でもなく、フルトヴェングラーのブルックナー、例えば第七番の第二楽章のネットリした感じに近いかもしれない。
今日我国に於て、育英の任に当る教育家は、果して如何なる人間を造らんとしているか。予は教育の目的を五目に分けたけれども、人間を造る大体の方法としては、今いうた三種の内のいずれかを取らねばならぬ。彼らは第一の左甚五郎の如く、ただ唯々諾々として己れを造った人間に弄ばれ、その人の娯楽のために動くような人間を造るのであろうか。あるいは第二の『フランケンスタイン』の如く、ただ理窟ばかりを知った、利己主義の我利我利亡者で、親爺の手にも、先生の手にも合わぬようなものを造り、かえって自分がその者より恨まれる如き人間を養成するのであろうか。はたまた第三のファウストの如く、自分よりも一層優れて、かつ高尚なる人物を造り、世人よりも尊敬を払われ、またこれを造った人自身が敬服するような人間を造るのであろうか。
――新渡戸稲造「教育の目的」
むかしから相変わらずの二項対立が存したことがあきらかであるが、これは文章上のことで、みんないろんな手立てでなんとか子供を教育していた。最近はようやく、いや昔から、基礎的なことを教えないで話し合いばかりさせてだめじゃんみたいな意見がでてきて、常に学校に対してその非難が向けられる。教育思想のせいでもあるが、それだけではない。先生の卵の知力が落ちているので、教育実習においてグループワークとかで時間をとらないと馬脚がものすごく顕れてしまう、そして、そのこと自体を案の定忘れたいから忘れられる――そんな事情もあるのだ。当たり前のことである。
こういう単純な循環的構造を否認すると、目的や手段を洗練させればよいみたいな意見が出てくる。
最近、学者の中に実作者がまじることが多くなってきたが、これだって、文学をつくるものではなく作られたものとして扱いすぎるとどうなるか、想像しないようなタイプが多かったことも関係しているのである。が、もともと創作者側特有の、また固有の創作者の認識の浅さみたいなものもあるに決まっている訳で、だからこそはじめから相対化なんかしなくても作品だけをつぶさに観察する人間が必要だったはずなのである。
二項対立に突入する前に確認すべきことがらが目の前に常にある。
大谷くんがポストシーズンで同点本塁打をうったのでまたメディが大騒ぎしていた。考えてみると、まあ学者なんかいつもポストシーズン、論文ヤベッというかんじで「動転」して「ホーム」で錯「乱」しているから大谷と同じである。これは冗談ではなく、文字によって嵌入されているのがわれわれの現実なのである。こういうことをあまりに無視すると、成功をどのように認識するのかという議論が進まない。
吉村公三郎が岸田國士の哲学は新カント派だったとどこかで言ってた(『岸田國士の世界』)けど、マルクス主義者だってそんなかんじのレッテルでは一方であったわけである。そして、それには彼らの内面と関係があるのだ。
「日本は無条件降伏をした。私はただ、恥ずかしかった。ものも言えないくらいに恥ずかしかった。」(太宰治「苦悩の年鑑」)といった感情についてよく考えてこなかった戦争論はほんとだめだ。手足が吹き飛んだり、いろんな言い訳をすること以外に感情がある。こういうのを無視したから、対決するか逃避するのか同化するのかになってしまう。
エヴァンゲリオンの監督が「宇宙戦艦ヤマト」のリメイクをやるそうである。本歌取りいつまでやるのといえないことはないが、そもそも彼はとても保守的な人である。「宇宙戦艦ヤマト」ってこじれにこじれた好色一代男の後日談だと思うのだが、それは一番エヴァンゲリオンにおいて噴出し、だんだんと押さえられていった。
しかし少なくとも信濃桜は、やゝ尋常山野のものと異なつた特色をもつて居る。どの部分までが培養愛育に基き、どれだけが始めから具はつて居る性質かはきめ兼ねるにしても、そこに選択があり一つの元木の繁殖があつて、人に助けられて広く旅行をしただけは考へられる。さうして別に他の地方を名のるものも無いとすれば、信州はやはりその故郷の一つとして、想定せられなければならぬのである。
人間ことに年を取つた者の旅行が、是から当分は六つかしくなるとすれば、花の写生といふことが私たちには望ましくなる。植物学者の記述などは、あまりにも几帳面で、胸に描いて見ることも我々には出来ない。どうかさういふ画に力を入れてくれるやうな、三熊花癲の如き同志を得たいと思つて居る。
――柳田國男「信濃桜の話」
『表現者クライテリオン』の何年か前の記事に「信州・松本シンポジウム」というのがあり、前田一樹氏が書いていたと思う。それにしても、信州から再出発するみたいなのは、なんか明治大正時代からの伝統だな、何回か東京の知識人がそういうことを言って東京に帰っていった。柳田や折口もその類いである。わたくしもそういう気がないでもなかったが、迷走しすぎて四国に来てしまった。その点、最後まで信州にとどまった島崎藤村の父親はえらい。彼は、御嶽の麓にたくさんいるお化けたちと心中して狂ってしまったにちがいない。
そろそろ怪獣も正義の味方にあわせて、精神的な多様性をもって描き出すべきじゃないかなと思うのである。やれ、米国の象徴の反対物とかたまたま超現実主義と邂逅したとか、とにかく話が単一的ではなかろうか。いまは人間の脳が驚くほど多様であることが判明した世の中ある。バルタン星人なんか、われわれ以上に多様な脳であろう。そんなやつらがいつも「美しい地球が欲しい」とか小学生みたいなことをいっているであろうか。ゴジラも、ウルトラマンの怪獣もだいたい家畜を扱うかんじで宥めたり殺したりしてきたのがわれわれだ。宇宙人についても案外紳士扱いだ。もっとどちらもめんどくさい奴らなのではないだろうか。
そういう点でいえば、「鬼太郎夜話」今回始めて読んだがすごかった。さすが何でも知っている人=花★清輝に、この幽霊知らなかったワとか言わせた人ではある。なんというか安部公房の「カンガルーノート」の続編みたいである。
花田の公のデビューは『サンデー毎日』の探偵小説だ。探偵小説は隠れた物を探す向こう側志向である。そういえば、『日本浪曼派』というのは、当時の純文学の向こう側化の側面があると思うのだ。三島は日本浪曼派直系ではないが基本的に向こう側志向だ。本気で向こう側に言ってしまったのは冗談みたいなものだが本質的だ。公にはエンタメ志向と思われているそれは、大きな流れで表面に出てくるかそうでないかの違いがある。いかに表面にでるのか、日本人にそれを表面と思わせるためには、お化けが良い。お化けの向こう側になにかをみてくれる。
花田の孫は、
そういえば、コンビニに置いてある漫画や雑誌がどういう根拠でああなっているか、だれか研究しているんだとおもうが、――なんか大衆の保守性とは何かを考えさせる。保守論壇誌のかんがえるそれとも違うし、軍靴の音がみたいなものとも違う。『ゴルゴ13』がずっと置いてあるのがおもしろい。このまえ、『大東亜戦争の闇』という題で編まれてたのを読んだけど、大変勉強になったな。――てなかんじで啓蒙になっているのだ。
もっとも、それが万華鏡で有る限り、大衆を狂気に導くこともあるのは当然である。くらくらしてくるのだ。中日ドラゴンズがそろそろ優勝しないと戦後ずっと狂信的に応援していたひとたちがそろそろご高齢で下手すると、ドジャースと区別がつかなくなるかもしれないのと同様だ。長野県の南部に結構いると思われる、中日ドランゴズ+御嶽海のファンのメンタルが心配である、この調子でいけばマルクス主義から皇国主義者に転向するぐらいのことが起きかねない。
論文でも小説でも、その内容をちゃんと読めてないと、内容よりも方法を指摘して得々としてしまうのは、小学生から研究者に至るまで共通しているが、その方法が雑誌となると、「みんな一緒」という方法に飜訳されてしまう。
天王山を間違えたのかどうだか、天目山などと言う将軍も出て来た。天目山なら話にならない。実にそれは不可解な譬えであった。或る参謀将校は、この度のわが作戦は、敵の意表の外に出ず、と語った。それがそのまま新聞に出た。参謀も新聞社も、ユウモアのつもりではなかったようだ。大まじめであった。意表の外に出たなら、ころげ落ちるより他はあるまい。あまりの飛躍である。
指導者は全部、無学であった。常識のレベルにさえ達していなかった。
×
しかし彼等は脅迫した。天皇の名を騙って脅迫した。私は天皇を好きである。大好きである。しかし、一夜ひそかにその天皇を、おうらみ申した事さえあった。
×
日本は無条件降伏をした。私はただ、恥ずかしかった。ものも言えないくらいに恥ずかしかった。
×
天皇の悪口を言うものが激増して来た。しかし、そうなって見ると私は、これまでどんなに深く天皇を愛して来たのかを知った。私は、保守派を友人たちに宣言した。
×
十歳の民主派、二十歳の共産派、三十歳の純粋派、四十歳の保守派。そうして、やはり歴史は繰り返すのであろうか。私は、歴史は繰り返してはならぬものだと思っている。
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まったく新しい思潮の擡頭を待望する。それを言い出すには、何よりもまず、「勇気」を要する。私のいま夢想する境涯は、フランスのモラリストたちの感覚を基調とし、その倫理の儀表を天皇に置き、我等の生活は自給自足のアナキズム風の桃源である。
太宰治の終戦後の「苦悩の年鑑」である。太宰は、花田と同じく、一人で大衆をやろうとしていた。でも、彼は最後の文で「私」と「我等」を意図的に混同する。アフォリズム的な断片を束ねて「我等」という言葉で狂いかける我々を「アナキズム」から「桃源」というイメージ昇華してぶちこわしている風なレトリックである。――しかし、ここに太宰特有の媚びがあることも言うまでもない。
少なくとも太宰のような芸当が出来ないのに、グループワークで意見を集約だとかできるわけがないではないか?