人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

照明

2016-05-11 00:03:09 | 意識、照明
私がこうしてブログを書いている理由の一つは、書くことで自分自身に気付くこと、学ぶことが多々あるからです。
例えば私が観照と呼んでいたものが有ります。
前にも触れたように、これは通常理解されているような、起きてくるあるがままを判断や解釈をしないで、ただ見つめる、というような自分が観照する者になるような事とは違います。
クリシュナムルティの本を何冊か読みましたが、”よーし、観よう、あるがままを…”と何事かをやろうとしますが、いつも何とも捉えどころの無い思いにさせられました。
は…あれは何かをやるって事じゃないの? で…何?…と堂々巡りするばかりでした。
自分で自分を観照しようとしても、それは鏡に映っている自分自身を見る事が出来ないように無理なのではないですか?
そしていつもクリシュナムルティには何かが足りないと感じたものです。
私がここで言う観照とは、自分の思いを超えてあるものに観られ、照らされているような感じのものです。こういう感覚というのはずっと以前から覚えていたのですが、自覚されたのは7か月ぐらい前が初めてでした。ブログを書いてなきゃ多分気が付かなかったでしょう…
自覚された時、一瞬私はコペルニクスになったかと思いました。(笑)
同時に何でこんな重大な事を身は覚えているのに気付かなかったんだ、バカめ!とアキレかえるばかりでした。
これは世間ではほとんど、認知されてないようで、慣用語が見つかりません。
でも、この事は古来から絶対知らされてきたことに違いない筈なのです。
西欧などでは、いつしか啓蒙する理性にとって代わられてしまったものだと思います(過去記事”新しい啓蒙主義”参照)
啓蒙…イルミネーション…新プラトン主義やグノーシス、スーフィーや浄土仏教でも伝えられてきたものでしょう。単純にと呼ばれていたりします。
で、これからは、観照という言葉は紛らわしいので、どうでもいいですが、照明なんて言葉にしようかと思っています。
考えてみれば、見えざる導師、ジンジンすること、シェキナー、現臨、ハタラキ…全てつながりのあることを言っていた事に気が付きます。
これらは意識がどう向いているかで微妙に違ってくるのです。
照明と言った場合、あまり内側に浸透してくるものじゃなくて、例えばどうしようか迷っている時など、ポーンとそれに預けてしまう事で迷いの思いの間から啓かれてくるようなものです。公園のベンチなどでそうなっている時など、突然立ち上がったりします。”よし、分かった!”と…
何をどう分かったかはよく分からないですが…(笑)頭以外でも合点しているみたいです。
こんなこと言うと捉えどころが無く感じるかもわかりませんが、シッカリ捉えられているのです!
読書に夢中になっている時などもよくあります。その時は文章を筋道立てて読んだり、字句の意味を考えたりすることが困難になり、(要するに思考機能が弱まる)あたかもパノラマ式にパッ、パッと本を読むというより、見ている感じになります。(ワカル?)
こういう事ってのは常識じゃないのですか? 昔からあることなので…
どうしたらそうなるかって事は例によって分からないですが、意識的になっていることは確かなことです。
思考と意識の関係というのもこの場合は実に微妙です。
ゴチャ、ゴチャした思いは確かに弱められますが、思考のある面はむしろ明晰になってきたりします。
意識的になることによって、思考の性質も変わってくるのでしょう。
そしてより根本的には、そこには自分を超えた照明、光が差し込んでいるという事なのでしょう…




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甘い生活

2016-05-09 17:57:17 | 映画・音楽など
「甘い生活」(1960年イタリア映画。フェデリコ・フェリーニ監督)

私に映画や音楽に関心が向けられた時、映画はサントラと共にあるものだと思っていましたが、その感慨も薄れてどのくらいになるでしょうか…
この二つの相乗効果というものは実に大きいものが有ります。
いい映画に、いい音楽…この最良のコンビと言えば、私はすぐフェデリコ・フェリーニとニーノ・ロータを思い浮かべます。
サントラに関して、一曲挙げれば「アマルコルド」のテーマがとにかく好きなのですが、CD盤全体で言うと「甘い生活」は聴きどころが沢山あってこっちに軍配を挙げます。
Parlami Di Me(Valzer)、 何ともやるせない旋律…
Arrivederci Roma、 カンツォーネのヒット曲のインスト。私はこの盤で初めて知りました。
後は、マンボにディキシーにプロ野球ニュース…これらは都会に育った人間なら思わずニンマリしてしまう事でしょう…

そして、映画についても…実はストーリーのことはほとんど覚えていない…というか初期の「道」などと違って、さして印象に残っていないのですが…
一つ一つの短い挿話がパノラマ式にランダムに印象に残っている、という感じなのです。
それに強烈に色を添えているのがニーノ・ロータの音楽という訳です。
内容は、作家を夢見たもののゴシップ記者に甘んじている男(マルチェロ・マストロヤンニ)の自堕落な生活を時に淡々と、時にパッションたっぷりに描いています。
彼を取り巻く女性たちとして、アニタ・エグバーグ、アヌーク・エーメ、イヴォンヌ・フルノーが出て来ますが、私にはそれぞれアメリカ、フランス、イタリアのステレオ・タイプの女性像が描かれているように映ります。フェリーニ監督はこのころから斬新な手法を使うようになりますが、フルノー演じる激情たっぷりの主人公の愛人の姿には昔ながらのイタリア映画を彷彿とさせます。
それにしても目くるめく、狂おしいばかりの都会生活を映し出すカレイドスコープの数々…
カソリックのお膝元で、何とも挑発的な描写…
何やらヘリコプターでキリスト像を運んでいる…
トレビの泉でアメリカのブロンド・グラマー(エグバーグ)とジャブ、ジャブしている
聖母出現信仰の熱狂ぶり…ヤラセだった…奇跡を信じてやって来た重病人は雨にたたれて死んでしまう…
信仰心厚く、堅実で調和のとれた生活をしていると思われた友人が自殺してしまう…
現代のバビロン(ロ-マ…いや全ての大都市というべきだろう)の魔的力に押し拉がれた人間には、見せかけの信仰などでは、どうにもならない…
夜な夜な繰り広げる乱痴気パーティ、ドンチャン騒ぎ…その朝の虚脱感…一体人生にはどれだけ身も心も金も消耗させられることだろう…ああ、いやだ、いやだ…こうなるのは分かっちゃいるんだが…トホホ、コイツときたらもう萎びちまった…
最後に海辺で魚のモンスターが引き上げられた…エイ?、マンボウ?…(フナッシーに似てる!)
エエイ!…全く魚の腐ったような眼をしてやがる!…(当たり前か!)
あれ…水辺の向こうに居るのは誰だろ?…誰ノガレか?(だいぶ若いな…)指で何かを言っている…”指だけの支援”の何が悪い!あれこそはホントの支援じゃないか!まるで女神サマに見える…私は何も出来やしないんだ…腐れ切った落ちたエルサレム…でも捨てたもんじゃない…いや、捨てられやしないんだ…宿業ってヤツは…トーキョー、いやローマはそれでも永遠の都…

この噴水にコインを投げると、運命が変わってローマに戻れる
噴水はなんにも言わないけれど、水底には君の歌がそらちゃんとある
さよなら、ローマ…
                  (アリヴェデルチ・ローマ)











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青い影には騙されない

2016-05-08 15:52:32 | 映画・音楽など
青い影.A Whiter Shade Of Pale。

洋楽ファンなら誰でも知っている、プロコル・ハルムの1967年のヒットです。
これが例によって、目下私の超時空ヒットチャートでリヴァイバル・ヒット中なんです。
昔、知人は”これを歌っているのは黒人だろ?”と言ってましたが、私は騙されませんでしたよ。
(バッハだって騙されないでしょう…)
ただ、私は別のことでずっと騙され続けていました。
何時の頃かこの曲をラジオなどで聴く度に、顔が赤くなってくるんです…
青白くなっていくんじゃなくってね…。だってね…

シックスティーン…ヴァージン…

”16歳で処女を失い…”とかそういう事を歌っているものだと思っていたものでしたから…
それが、なんだ…16人の処女がどうとか、こうとか…騙されたあ!
それにしても、実にソウルフルな歌唱で、知人が騙されたのも分かる気がしますが、私は既に学習していたのです。
何しろ、私が洋楽に目覚めた頃の1970年には3回も騙されましたからね…
まず、初春の頃、クリーデンス・クリアウオーター・リヴァイバル(この名を覚えるのに何か月かかったことだろう。略してCCR。)の”ダウン・オン・ザ・コーナー”
後に写真で観たらヴォーカルのジョン・フォガティときたら、なんとカントリー兄ちゃんではないか!
次、夏頃、スリー・ドッグ・ナイトの”ママ・トールド・ミー”(作者ランディ・ニューマン! ”トイ・ストーリー?” 違うっ!”セイルアウエイ”です!)
で、年末、トニー・オーランド(なんとも黒人ぽい名前じゃありませんか?)&ドーン(Dawn)の”ノックは3回”…やられた!…(ノック・アウト、スリータイムス! カン、カン、カン、試合終了…)
とにかく、60年代くらいからヒット・チャートはモータウンとか、ソウル音楽が目立つようになり、白人アーティストもかなり影響を受けていましたね。
その”青い影”ですが、前から歌ってみたいと思っていたのですが、数年前までは絶対にムリ…イカレた九官鳥みたいになってしまう…あんなソウルフルな声は絶対に出ませんでした。
しかし…上手いのかどうかは知りませんが、難なく出てしまったではありませんか!
九官鳥やサカリのついた猫やつぶれたカエルでもいいからやってみるものですね。
まあ、ワンカラに限るとは思いますが…
エッ…歌を覚えるために聴いているのかって?…その通りです!
何時の頃か、歌ってる時あの何かが乗り移ってくる感じが、アレを思い起こすもので…
アレですよ!…ファンダンゴ…16人のヴェスタの処女…ウーン…エクスタシー!
(騙されないで!)




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幻想の日ユ同祖論

2016-05-07 12:57:07 | スピリチュアル?
日本=ユダヤ(日ユ)同祖論というのを御存知でしょうか?
学研系”ムー”民だったら知らなきゃモグリですよ。…私はイロイロな理由で否定も肯定もしませんけど…
いや、そもそもそれをキッパリ否定したり、”間違いない!”とドヤ顔して肯定する必要など無いとも思っています。単純にロマンと狂気が混在してて興味は尽きないですけどね…
これは戦前から今に至るまで廃れることなく、根強く主張されていたことなのですが、これを親ユダヤよりの見地とすれば、むしろユダヤ陰謀論に代表される反ユダヤ的見地の言説の方が支持を集めているようにも思えます。どっちにしろ、日本人はユダヤが気になってしょうがないみたいですね。
昔から知られているこの論者には、佐伯好郎、小谷部全一郎、、酒井勝軍、川守田英二…などの諸氏が挙げられますが、彼らはいずれも明治から昭和にかけて出現し、クリスチャン(プロテスタント系)だった点が注目されます。
元々が熱狂的になり易い下地の上に、(佐伯博士は純粋な学者という姿勢を崩さなかったにせよ)彼らは自制下もあり、万世一系の天皇崇拝(ことに酒井氏に著しい)というも一つ違った色合いの熱狂主義が大なり、小なり結び付く傾向もありました。
そこから、ユダヤの民が待望する救世主は、日出る国に君臨する世界天皇に他ならない(酒井説)という主張などが現れたのです。
そして、彼らはその独自のメシアニズムを裏付けるため、学問的に訴える数々の考証へとまた熱狂的に駆り立てられました。
そう、彼らはその主張は多々あれど、熱狂的に考証ごとに明け暮れていた人たちだったのです。
アイヌなどの先住民=消えたユダヤ十支族説(小谷部)、渡来人の秦族=ユダヤ人説(佐伯)、日本古謡=ヘブライ起源説(川守田)等々…
ところが私は、こうした考証ごとは、交渉ごとと同じく苦手です(笑)
私はこれらの異端の原著を読んだこともありましたが、彼らが一体何を躍起になって論証してたのか、まるっきり頭に入りませんでした(笑)
仮にこれらの異端説の何かが、ついに日の目を見る事が出来た…つまり公的に権威筋を通じて実証されてしまったとしましょう。
多分、”へえ!”とは驚くかも知れませんが、”だから、それがどうしたの?”としか感じないでしょうね。
これは、この事に限らず、すべての所謂定説に対するスタンスなのかも知れません。
(逆にキッパリ否定されてしまっても同じことです)
ただ私は、日本人の血統を持つキリスト者である彼らが、信仰を受容して行くにつれて、その源泉へと探究するうち、こうした異形の鉱脈に導かれてしまった、というところに関心をひきつけてやまないものがあります。
これらの言説には元々一つだったものが、分離というプロセスを経て、やがて又ひとつになるというモチーフが根底にあります。
つまり日ユの王統の統合体たる世界天皇の君臨であれ、失われた支族の回復による世界的統合支族?の出現であれ、それは分離されたものの再結合、和合のビジョンが隠されているのです。(これはまた世界支配の陰謀論と隣り合わせのものですが…)
そこには表面的な日ユの和合性に隠れて、ユダヤとキリスト教の和合されるべき理由も示されている気がしてなりません。
それは多かれ少なかれ、彼ら日本人クリスチャンとしてその共通の源泉日本=ユダヤ的なものへの回帰しようとする意志の顕れに見て取れるのではないでしょうか?
こういう事は当然のことながら如何なる考証ごととも無関係です。霊的交渉ごと?ならともかく…
彼らには少なからず、そうしたものが精神のどこかに心象として生きていたのではないでしょうか?
しかし、彼らが考証に躍起になり、ファナチックに宣揚されたりするのに触れると、幻想に憑かれているようにしか感じられません。トンデモ…何て揶揄する気は毛頭無いですが…
私自身にもずっとある種の心象があります。
それはもとより言葉で言い表せないものですが、このようなものです。

”日本には潜在的にあらゆる宗教、精神的伝統を受け入れる霊脈がある。
でも、それは生きた霊なるハタラキを受容しなければ、眠ったままだろう…
この霊なるハタラキは選民によって独占さるべきものなのだろうか?
それは然るべき霊脈を揺り動かしてこそ、普遍性を持って生きてくるのではないないだろうか?
いいや、それは元々一つのものだった…全ての宗教は一に帰るのだ”

これは幻想かもしれません…されど心象に息づいているのです…





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宗教的貞操とは?

2016-05-05 16:38:47 | 求道、探究
この連休は毎年恒例となった浦和の氷川女体神社へ参拝に行きました。
眼下にそびえる広大な見沼跡(現公園)、竜体を思わせる見沼代用水の流れ…(かつて見沼には竜神の伝説が有りました)
この佇まいが好きなのです。
ここへ来るときは、いつも天候は決まって曇りのち晴れ、そして強めの風です。
別にこの季節じゃないとならない曰くが有る訳でも無く、ただ何十年も続いている私だけの行事です。
本当は大宮の氷川神社と、その中間の中川にある中山神社と合わせて行ったほうがいいんです。
大宮(父〉、浦和(母)、中川(子)で三位一体参りといった塩梅です。
私は、”神は我が内に居るのです”とか、いや”私が神なのです!”といった屁理屈はさて置き、神社ではちゃんとお参りしてますとも…

原始福音では、大集会の際比叡山や高野山、伊勢神宮…といった他宗教の聖地で行うなど、キリスト教界にあって前例の無い試みをしてきました。
日本の精神的伝統に根差した福音宣教の表れですね。
ただ手島先生は、伊勢神宮でもお参りはしなかったそうです。「僕は絶対に参拝しない。伊勢を尊敬することと、神社に参拝することは別だ。僕はキリストしか拝まない」と、宗教的貞操を守っていたのです。これは、まあキリスト教徒を自認する者として当然の在り方と言えるでしょう。息子の手島佑郎さんともども…
この点私の精神的歩みというのは、ムチャクチャなんてもんじゃない…”宗教的貞操って一体何だ…”って感じです。
十数年前、琵琶湖畔でのクエーカーの集会の折、古式豊かそうな神社が有ったので、神妙にお参りしていたら、後ろの方で古い会員さんはキョトンと立ったまま、それを見てました。ここで私が”そんなことしたらダメでしょ!”と言われるか、逆に”神社では拝まなきゃ、ダメだぞ!”と言おうものならタダ事じゃ済まなくなりそうです。
でも私はちゃんと心得ています。要らんこと言わなければ平和は保たれる、という事を…
元々私にはキリスト教の神、神道の神、ヒンズーの神…と宗教毎に神も分かれる、という認識などありません。
ただ、昔は傍から”違う神、他の神を拝んではダメです!”などと倫理めいた話が持ち込まれた時、当惑するしかありませんでした。(今だったらタダじゃ済まない…かも?)もう、精神分裂になりそうです。そう、それはまさに分裂、分離です!
私の精神も魂も一つしかない…いくら私が二重人格だろうと…これに関わる神も一つのはずです。
それが、神社だろうと寺院だろうと教会だろうと…
だから私には宗教的貞操観念は無いと言っていいでしょう。しかし…この事と純一無雑な信仰、求道、帰依の在り方という事は別の問題です。
純一でなければならない時は、右顧左眄しないでそうなるまです。これは自分の精神、魂と直に触れてくるような契機に有った時、否応なしにそうならざるを得ません!…にということは、宗教教理とか神学とか修行システムとかエライ先生のご託宣といった、直接性の間に二義以下のものを介在させない、という事です。
私はそうした直接性ならぬ偶像化をもたらすものへの転倒的精神的在り方にこそ、宗教的ケジメの無さを感じています。
”神社参拝は偶像崇拝では?”何ていうのは噴飯ものの、野暮な話で、媒体を通してのシンボリックな在り方と偶像化の在り方の区別のつかない精神の貧困さを示しているだけです。そう言うんなら、”あなたの頭に祀られている偶像をなんとかしろ!”と言いたいです。
まあ、それも要らん事言われたらの話ですけど…
日本の神は八百万だとか、通説では言われていますが、それは、異宗教間の争いに陥ることなく、共存している様自体のことを言い表しているようにも思います。
私はこうした精神的風土にあって、この道を歩まされていることを実感しています。
と、同時にあの思いを超えた現臨感にも無条件に引きつけられてしまいます。
あれは私の中のユダヤの血(!?)がそうさせるのでしょうか? 私にはこういう共存もある…宗教的貞操も何も元々そういう婚姻関係でもあるんでしょうか?…


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