人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

義務無き至上命令

2019-01-22 07:36:37 | 雑感
コ難しいことは書かないですけれど、私が"最愛のものと共にある時"どういう感じになっているか、端的に言えることがあります。
それは、この世に私の嫌いな人間、憎い人間というものが一人も居なくなってしまう、ということです。
これは非常に重要なことで、間違えてもらっちゃ困るんですが、文字通りそういう人間が居なくなる、ということではなく、その人らに対しそう抱いていた感情、イメージといったものが消える、という意味です。
これをいつも"思いが化されて行く"と言っているんです。
それは全くもって..."終わりなき戦いに終止符が打たれる"ようなことなんです。
どうしてそうなるのか何て私の与り知れないことです。
いくらそうなろうと思っても、どうしても、ドシテモそうなった試しなど無いi
それが朝、目覚めたらそういう感じになっていたようなことなんですから...
こういうことが、いつもいつも"そうなっている"訳じゃないんですね。世の常として。
それを"常時そうなっているようにしようとする"...
"常時そんな心境になってないのに、そういうことを発してしまうのは、一寸思い上がっているから、躊躇すべきなんじゃないか"...などという思いに駆られる...
そうして又"終わりなき戦い"に入り込んでしまうんですi 
そして私の、こちょこちょしたロクでもない思いを超えて、突き上げてくるように、こんな風に迫るパッションを感じてきます。
"何を躊躇している、書け、書くんだ、書いちゃえばいいんだi"
これはミッション、至上命令のよう...何だこの強制力...いいや、これは逆説的な言い方をしているんですi
そこに義務など何もありませんし、背いたらペナルティが...何てものは更々ありません。つまりは"書かざるを得ない"ということなんです。
誤解を恐れずに言えばこれは"啓示"みたいなものです。
こういうものに、私にはそれを受ける、書き表す資格がないとか、もっとマシになったらお受けしたいなどと、申し立てなど出来るでしょうか? 
受けちゃったものは仕方がないだろうi
又受けたことに、余計な話を盛り立てて飾ることなど出来るでしょうか?
これは私の持ち物でも何でも無いのです。こちらで操作することも出来ないのです。故にすべて"与っている"ことなのですi
受けたことは、そのまんまを受け入れなければならないi "ならないi 命令i" これは私の故じゃない、私を超えた御方故にですi
すると、もう嬉しくて仕方なくなってくる..."お前が嬉しければ私も嬉しい"
だから...義務、責任無き至上命令、ミッションなんですi もはや主従など無い...
私に受けたものに所有権など何も与えられてませんが、それを表すことには全権を与えられているようです。
それを読んだ人がどう感じるかは与り知れませんが...

自分が始め、自分が書いてるこのブログですが、何か自分の手を離れて別の生き物が息づいている感じがいつもしているのです。
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終わりなき戦いに終止符をi

2019-01-20 00:31:21 | スピリチュアル
あれれ? 昨日、"自分で終わりに出来ないんじゃないか?"、何て書いちゃったからか、あれほど立て続けに投稿されていたのが、更新がほとんど止まっちゃった...

多分私の記事を読んで下さってることだろうから、一寸批判的なこと書いてしまったので、気分を害されちゃったのでしょうか?
この方は、いつも私のブログに好意的なコメントを寄せてくれていたのに、私ときたら...
生き方はご自分で決められるだろうから、全く余計なこと言ってるに過ぎないのだろうけど、私は一寸この方のことを案じたい思いがあったのです。何か記事を読んでいてツラくなってしまって...
そして、多分ご自身も"これで終わりにしたい"という気持ちもあるように感じられて(何回も"これで最後の..."と書いてて、その都度騙されたi)、あんなことも書いてみたくなったのです。

私は何度も覚醒体験などは、神的なものと共にあるもの(これはあくまで私なりの表現)で、そこから離れて所謂"悟りゲーム"みたいになって一人歩きしてしまうことへの危惧について書いてきました。
それは本来そこで一旦引っ込められるはず(これが正にその事象の根幹的なものではないでしょうか)の自己性(敢えてこの界隈に、その言葉から淀んだ空気のようなものを作り出している、"自我"という言い方はしたくない)が前面に出るばかりで、自己を自ら袋小路のようなところへと追いやり、より強固になってしまうか、虚無的な世界へと消し去ってしまうことにもなりかねない、ということです。
この傾向は、理に片寄るところに現れるようです。
私が"神的なものと共にある"とか"愛の内にある"とか言っていることは、行き場の無いどん詰まりに、逃げ道としての通路が開かれるようなことです。重ねてこれが、行き着くところの無い、がんじがらめの自己の閉塞状態からの解放という、この事象の本質的なものと感じています。
この方は以前(と言ってもついこないだのことですが)、"愛"について書かれていました。
あまりそういうものは重きに置かないみたいに感じられましたが(勿論この事自体に良し悪しはありません)、それは人間社会の中で取り交わされているもので、本源的な愛の存在については疑問に思われているようでした。
私自身は、これを感じざるを得ませんi 私はこれを知るために生まれてきたとも思っています。これ無くして人間が考えるすべての愛というものは成立しないでしょう。これとつながらない愛は別の様態に変質するだろうと思います。
そしてこれにより終わりなき戦いに終止符が打たれるのですi
愛というと、自分と別の対象があって成立するものだと、とにかくこの世界ではそういうものしか教わってきてません。Aという存在とBという存在とがあって、愛が生まれるものだと...私はむしろ愛というものが先にあって、両者は結び付くものと理解しています。
では単独者には愛は生まれないのか? これは自己の内なるものに意識が向かえば自明に分かりますi これは所謂"自己愛"とは違いますよ。
そして愛は、理知といったものよりも本質的なものかと思います。それは理屈、意味付けを超えているものだから...
しかし、この方も何か仄めかしているように、愛と理知というものは、決して切り離されたものではありません。
(とにかく、我々はこの世界では愛とか情動に関したものと理知的なものは別々に表されるものとしか、教わってないのですが、例えば事の道理に従うということに、如何に愛の発露というものが、その根本的な心の動きに息づいていることでしょう)
これが本源的な愛の側面であり、というかそもそも本源的なものというのは、すべてがそうなっていることかと思います。
あまり愛だか知だか分からないことを、言っててもしょうがないので止めますが...
どうかブログは続けて欲しいです。少しお休みになるのも一考かと思いますが...
勿論それはあなた自身が決めることです。(何度もあなたからは"一致するところがある"とのコメントを頂戴しましたが、確かに理に傾き勝ちなところを一寸めくってみると、合わせ鏡みたいなそんな感じがしてきます)

お気に触ることの数々申し訳ありません。



コメント (6)
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与るということ

2019-01-19 12:37:41 | スピリチュアル
"ああ、もう...風邪の治りかけの、ゆっくり静養したい気分の朝だというのに、何だi ややこしー電話してきやがってi ついつい怒声を発しちまったじゃないかi...おおっと、私はいつも愛と調和の中に居るんだったっけ...これではイカン、ニコニコせねば(作り笑い)...
ああ、シンド...疲れるわi"

もし、数分後、その心的状態のことをキレイサッパリ忘れてしまったとしても、一瞬愛と調和というものを感じたのなら、私は躊躇なくそれを受け入れます。
"お前は、よくそういう都合勝手なまやかしが言えるものだな"って?
そう、私は実にイイカゲンな人間です。だけどその事は素直に受け入れます。
だって、私は愛と調和に与ることはあっても、その境地に達した訳でも、その道をこちらで目指してる訳でも何でも無いからですi
その他、"神的なものと共にある"、"目覚めたi"、時に"一なるものとひとつになる"ということもありますが、これらすべては"与る""授かりもの"ということを言っているまでで、私個人の何ものかに帰すようなことは何も無いのです。
このすべてのものは受け入れなければならない...
もし、これがここから離れて、この自分が本当に愛と調和と一つになってしまうというのなら、隣のバカ親父との軋轢が無くなるどころか、この世に世界平和が実現してしまうでしょう。
そういうものに与るということと、自分が何かになる、現実に何かが実現するか、どうかというのは別個のことなのです。
自分の何かがやったり、達成したりすることじゃないのです。
でも、これで満足出来ない向きも多いですね。
それはこの世の中がそんな預りものみたいな、感じみたいな、アヤフヤなもののままでは認めようとしないということでもありますが...
そして、とにかくその境地を求めて、無限ループに嵌まったように、駆りたてられて行きます。
そこには何処にも行き着くところがありません。そして探求し続ける、その境地に達しようとする強固な自己への執着ばかりが感じられる。
自分からは終わりにすることが出来ないのでしょうか?
私には愛というものに向かおうとしないで、理に走り過ぎているのが感じられます。
飽くことを知らない自己は、愛に休らうことが出来ないのです。
もし、本当に覚醒体験なり、一瞥体験なりに与っているのなら、その原態というものが、どういうものかということが理解出来るでしょう。
それは自分の力、思いによってそうなったのか? それは自分の能力、思考というものが木っ端微塵にされた結果だったのではなかったか?
それは全くもって自己を超えたものの、為せるものだったはずです。そのもの無しには、自己は有るとか、無いとか言えるものではないのです。
神的なものに与るとは、そういう自分をどうこうすることじゃありません。これは飽くことなく何かに駆りたてられて行く、自分という思いから離れる("無くす!"とか血迷ったことではありませんi)という契機に与ることであり、愛に憩うということでもあります。
そして、この自己を超えたものが何処に私を導くのかは、私には預り知れません。
ただ与るものを受け入れることしか出来ません。
自分の思いを超えたものに、理屈抜きに惹き付けられるとはそういうことだからです。
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イッツ.オンリー.ア.ペーパー.ムーン

2019-01-18 11:02:48 | 映画・音楽など
ボール紙の海にかかってるだけの紙で出来た月
でも、あなたが私を信じてくれるなら、そうとは信じられない
ムスリンの木に揺らめいているだけのキャンバスに描かれた空
でも、あなたが私を信じてくれるなら、そうとは信じられない

あなたの愛が無ければ、それはただの場末のパレード
遊技場で流れるメロディー
バーナムとベイリーのような見せかけのサーカスの世界
でも、あなたが私を信じてくれるなら、そうとは信じられない

そう、そう...それは決してウソじゃないi
現実に思えてくる...あなたが私を信じてくれるなら
「イッツ.オンリー.ア.ペーパー.ムーン」(H.アーレン作曲、B.ローズ/E.Y.ハーバーグ作詞)

"何が現実で、何が幻想だか分からない世界...
自分自身も現実に生きているのか分かりゃしない
ここに真実何てものがあるのだろうか?
私が言っていること信じられる?

私はあなたを信じられなかった...
だからこの張りぼての世界のどこかにあるであろう、真実を探し続けた...
でも...私が信じる先にあなたが私を信じてくれていた
すると、ほら、あのB級映画のセットに過ぎないものが、画面から飛び出してきた
これは現実でいいんだろうか?... この熱い鼓動、律動...そう、そう、そうなんだ...
(ああ、戻ってこれて良かったi)"

昔からポピュラー音楽、ジャズソングなどのスタンダードで有名な曲です。
私は二日前風邪でダウンしてしまい、寝床の深夜ラジオで、同曲のおそらくもっとも知られたカヴァーと思われる、ナット.キング.コールのものを聴いていました。
そこでパーソナリティの方が、訳のさわりを披露していたのを聴いてジッとしてられないほど感動してしまい、それから急速に快方に向かったのでした。
皆さん、流行の風邪にはお気をつけ下さい。


コメント (3)
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旨いものが食いたい

2019-01-16 09:50:44 | 独語
風邪が中々よくならない...
よくなったと思って無理したら、余計シンドくなってしまった...
もう、何も考えられない
横になってるしかない...
何だかシンドイのか、どうかも分からなくってきた
悩みとか心に引っ掛かってるものは何もない
ウレシいことも、楽しいこともない
ただ勝手に時は過ぎて行く...
そう...ただ起こることが起きてるよう...
私はここに居るのか、どうか...
もしかして、一時的にノンデュアリティな状態になってしまったのだろうか?
いや、一時的でいいんだろうか?
一時的であってほしい...
腹が減ってるのか、どうかも分からないが、チョコレートを食べてみる...
味が分からない...旨いのか、不味いのか...歯ごたえも分からない
一体、何が口で、歯で、チョコなんだろう...
何だか眠たくなってきた...
今、寝てるのか、起きてるのかもよく分からないが...目が覚めてもこんな感じだろうか?
目覚めたのか、寝てるのかよく分からないよりも、寝て起きたらやはり目覚めたいものだが...
どうでもいいけど...旨いものが食いたい...
やはり一時的であってほしい...

夢を見た...
何か..."お父様i"と叫んでいたi
お父様?
コメント (2)
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