今朝の新聞で「米長邦雄日本将棋連盟会長逝去」の報に驚いた。
将棋界は勿論のこと日本の文化界はまた一人惜しい人材を亡くしてしまった。
将棋を覚えた頃から「さわやか流」とも「泥沼流」とも称される米長将棋の大ファンで
中原名人とのタイトル戦に一喜一憂したものだった。
TV出演した際の軽妙洒脱な解説振りも他を圧倒していた。
また、著書は将棋以外に勝負哲学や人生について書いたものも多く、将棋以上に
強い影響を受けていた。
「将棋の大局観」だけでなく「勝負や人生の大局観」を意識するようになったのも
その頃からだった。

実力もないのに四段の免状を取得する資格を得たのは20代半ばだったが、時の名人が
一枚一枚免状に自書すると聞いたので「米長名人誕生」を信じて20年近く待ち続けた。
諦めかけた頃になってようやく「悲願の米長名人誕生」となった。
結局、欲しかったのは「免状」ではなく「米長名人のサイン」だったような気がする。
現在の棋界の第一人者である羽生竜王(当時)が連署したこの「お宝」は天才米長の
の著書が並んだ本棚のある自分の部屋に今も飾ってある。
(補足)日本古来の伝統文化の免状には読めない字が多かった。
夙ニ(つとに)、茲ニ(ここに)、允許ス(いんきょす) と読むようだ。
将棋界は勿論のこと日本の文化界はまた一人惜しい人材を亡くしてしまった。
将棋を覚えた頃から「さわやか流」とも「泥沼流」とも称される米長将棋の大ファンで
中原名人とのタイトル戦に一喜一憂したものだった。
TV出演した際の軽妙洒脱な解説振りも他を圧倒していた。
また、著書は将棋以外に勝負哲学や人生について書いたものも多く、将棋以上に
強い影響を受けていた。
「将棋の大局観」だけでなく「勝負や人生の大局観」を意識するようになったのも
その頃からだった。

実力もないのに四段の免状を取得する資格を得たのは20代半ばだったが、時の名人が
一枚一枚免状に自書すると聞いたので「米長名人誕生」を信じて20年近く待ち続けた。
諦めかけた頃になってようやく「悲願の米長名人誕生」となった。
結局、欲しかったのは「免状」ではなく「米長名人のサイン」だったような気がする。
現在の棋界の第一人者である羽生竜王(当時)が連署したこの「お宝」は天才米長の
の著書が並んだ本棚のある自分の部屋に今も飾ってある。
(補足)日本古来の伝統文化の免状には読めない字が多かった。
夙ニ(つとに)、茲ニ(ここに)、允許ス(いんきょす) と読むようだ。