夜明け前の日課は、ネットでメール、ブログそして新聞の社説のチェックが通例となっている。
終戦記念日を迎えた今朝の毎日新聞の社説はアピール力があった。
そして、改めて憲法前文の「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを
決意し」の一節を思い起こした。
引用が少し長くなることをご容赦頂き、憲法前文と今朝の毎日新聞の社説の双方を紹介したい。
なお、当地のような中山間地域にも新聞が配達されるが、毎日新聞については配達員の確保が困難
となり来月から「郵送」に切り替わる。
それでも、毎日新聞の健闘に敬意を表し、引き続き購読することを決めた。

(東の山の大豆畑。この後、二度目の中耕除草を行った)
「日本国憲法前文」
日本国民は,正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し,われらとわれらの子孫のために,
諸国民との協和による成果と,わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し,政府の行為によって
再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し,ここに主権が国民に存することを宣言し,
この憲法を確定する。
そもそも国政は,国民の厳粛な信託によるものであつて,その権威は国民に由来し,その権力は国民の
代表者がこれを行使し,その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり,この憲法は,
かかる原理に基くものである。われらは,これに反する一切の憲法,法令及び詔勅を排除する。
日本国民は,恒久の平和を念願し,人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって,
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して,われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは,
平和を維持し,専制と隷従,圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において,
名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは,全世界の国民が,ひとしく恐怖と欠乏から免かれ,平和の
うちに生存する権利を有することを確認する。
われらは,いづれの国家も,自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって,政治
道徳の法則は,普遍的なものであり,この法則に従ふことは,自国の主権を維持し,他国と対等関係に
立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は,国家の名誉にかけ,全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
毎日新聞社説(2020.8.15)
「戦後75年を迎えて 歴史を置き去りにしない」
75年前のきょう、日本は戦争に敗れた。無謀な戦争による犠牲者は日本だけで310万人以上にのぼり、
アジアでは2000万人を超えるとされる。
日本は惨禍を重く受け止め、平和国家としての歩みを続けてきた。その方向性はどれほどの時を経ようとも
変えるものではない。
ただ、時間の風雪は過酷だ。戦後生まれの世代は日本の総人口の85%になり、戦争の不条理を体験者から
聞くことができる時代は終わりつつある。日本が針路を誤った記憶は「昔話」と化す。
だからこそ、戦争の実相を語り継ぎ、国民の中でしっかりと共有していく必要がある。
開戦時、日本が思い描いていた展開はこうだろう。
--緒戦で米艦隊に大打撃を与え、東南アジアの要衝を押さえ戦いに必要な資源を確保する。米軍が反攻を
始める前に、米国民は戦争に嫌気が差す。日本の同盟国であるドイツがソ連に勝利し、米国と有利な条件で講和
を結べる。 希望の羅列に近い。
目と耳を塞がれた国民
別の分析もあった。
対米開戦前の1941年8月、当時の軍部、官僚、民間の中堅、若手の精鋭を集めた「総力戦研究所」が戦争し
た場合のシミュレーションを行い、必ず負けるという分析を内閣に報告した。
これに対し、東条英機陸相は「戦というものは計画通りにいかない」と退けたという(猪瀬直樹著「昭和16年
夏の敗戦」)。
東条はまもなく首相になり、対米開戦に踏み切る。
ただ、軍部の独走だけにとらわれず、開戦の背景にあるものにも目をこらす必要がある。見過ごせないものの一つが
ポピュリズム(大衆迎合主義)だ。
昭和天皇は開戦前の国内状況についてこんな発言を残している。
「若(も)しあの時、私が主戦論を抑へたらば、国内の与論は必ず沸騰し、クーデタが起つたであらう」(「昭和
天皇独白録」)
極東国際軍事裁判の開廷前の聞き取りであり、自己弁護的との指摘もある。だが、発言は国民の熱狂の強さを伝えて
いる。日米開戦の報に接した高揚感を日記や詩に記した文化人も少なくない。
開戦に意気上がる世論について、東京大の加藤陽子教授(日本近現代史)は「満州事変以来10年、国民は反英米の
言説ばかり聞かされてきた。交渉による妥協などには耳を貸せなかった」と語る。
全体主義が進み、治安維持法をはじめとした弾圧立法、抑圧機構が反戦、反権力的な動きを抑え込んだ。国民は目と
耳を塞がれたような状況下に置かれ、「挙国一致」のかけ声の中で開戦に付き従う空気が醸成された。
ポピュリスト政治家が高揚する世論に乗じて影響を広げた。メディアも偏狭なナショナリズムをあおる報道を展開した。
過去との尽きぬ対話を
戦後の国際秩序は今、大きく揺らいでいる。米中の対立は世界史で繰り返されてきた新旧勢力の衝突に向かうかのよう
にも見える。
中国や北朝鮮に示威的な行動を見せつけられると、勇ましい声が勢いを増しかねない。
その時に支えとなるのは、戦争の真の姿に対する理解だろう。イデオロギーを先行させたり国家のメンツにこだわったり
せず、「負の歴史」との尽きることのない対話から得る理性が重要となる。
開戦時、政府関係者の念頭を支配したのは日露戦争の成功体験だ。自らの弱点を正視せず、都合のいい歴史を思い出す
精神構造が平和論を弱腰と排除した。
表現や、思想、信条の自由を保障した憲法を持ち、主権者である国民が政治の行方を決定できることがあの時代とは
異なる。その権利を使って、国の行く末を冷静に見つめ、おかしいと思えば今はためらわずに発言できる。
新型コロナウイルスの感染が拡大し、日本国内の死者は1000人を超えた。何の罪もない家族や知人がある日突然、
命を奪われる体験をした人もいる。
「非常時」「有事」などの比喩が使われ、戦時的な思考が顕在化した。その中で、国家は何をすべきかを問い、その
対策に厳しい目を注ぐ国民が全体でこれほどまでに増えたのは、戦後75年にして初めてではないだろうか。
気づきを得て、国のありように関心を持つ市民が社会を強くする。
平和国家の道程を未来に確かに引き継ぐ夏にしたい。