高野山には、歩いて行こう。
当初、無謀とも思われた計画は、いつの間にか二人の共通の認識に変わり、四国
を満願した今ではこの先で現実に行われようとしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/95/8dd9dfa4e10ae0f7b095e6e6020f7b15.jpg)
計画はこうだ。
88番を打ち終えたら、1番に戻り、その後は徳島からフェリーターミナルを目指し、
船で和歌山にわたり、そこから高野山に登ることを考えていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/eb/1cbc9f45a7e6af5fe9a313dcc3289d1d.jpg)
大窪寺から霊山寺までは41キロ余り、ここから徳島を経て港までが20キロほどだ。
徳島と和歌山の間はフェリーで130分余り、一日に9便ほどの航行がある。
上陸した和歌山港からは、和歌山市内、粉河などの集落を抜け、紀ノ川に沿って東
進、高野山のお膝元、九度山下までが45キロほどで、ここまででざっと106キロほど
の道程である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/5e/5fea39c262003da6a32b31b754e15970.jpg)
ここから慈尊院に向かい、高野山への登山道である町石道で山上の壇上伽藍ま
でがおよそ24キロ、7時間余りの所要と言われている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/9a/6c970af97166bd3cfb3a8e75a83b98fc.jpg)
となると普通の足なら5泊か6泊、まあ1週間も見ておけば、高野山金剛峰寺から
奥の院の大師御廟を訪ねることが出来そうである。
が、ぐうたらな二人の足は、一週間も歩き続けるなんてことは到底考えられず、
当然春秋の二回に分けた行程を考えることになる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/cc/f4e3f5649c0185e475db3f26ef69ad70.jpg)
2014年の秋、どうにか無事に大窪寺に辿り着き、その後霊山寺まで戻り一連の
四国遍路歩きを終えて、その先をどう進めるべきか調べる日々が続いていた。
本屋さんの店先で関連する書籍をあさり、あるいは県立図書館に通い、はたま
たネットで調べを進めるうちに、そこで「高野街道」の存在を知ることに成る。
(写真:四国遍路道・七子峠越え)(続)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/6b/6f2fa7feabd787fb3bcb01e07a355b06.jpg)
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当初、無謀とも思われた計画は、いつの間にか二人の共通の認識に変わり、四国
を満願した今ではこの先で現実に行われようとしている。
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計画はこうだ。
88番を打ち終えたら、1番に戻り、その後は徳島からフェリーターミナルを目指し、
船で和歌山にわたり、そこから高野山に登ることを考えていた。
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大窪寺から霊山寺までは41キロ余り、ここから徳島を経て港までが20キロほどだ。
徳島と和歌山の間はフェリーで130分余り、一日に9便ほどの航行がある。
上陸した和歌山港からは、和歌山市内、粉河などの集落を抜け、紀ノ川に沿って東
進、高野山のお膝元、九度山下までが45キロほどで、ここまででざっと106キロほど
の道程である。
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ここから慈尊院に向かい、高野山への登山道である町石道で山上の壇上伽藍ま
でがおよそ24キロ、7時間余りの所要と言われている。
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となると普通の足なら5泊か6泊、まあ1週間も見ておけば、高野山金剛峰寺から
奥の院の大師御廟を訪ねることが出来そうである。
が、ぐうたらな二人の足は、一週間も歩き続けるなんてことは到底考えられず、
当然春秋の二回に分けた行程を考えることになる。
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2014年の秋、どうにか無事に大窪寺に辿り着き、その後霊山寺まで戻り一連の
四国遍路歩きを終えて、その先をどう進めるべきか調べる日々が続いていた。
本屋さんの店先で関連する書籍をあさり、あるいは県立図書館に通い、はたま
たネットで調べを進めるうちに、そこで「高野街道」の存在を知ることに成る。
(写真:四国遍路道・七子峠越え)(続)
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