街道を左に曲がると、すぐに右に折れる変則的な交差点の角に「恋塚淨
禅寺」が建っている。
入り口脇にある案内板によると、開基は文覚上人とある。
文覚と言えば、平安時代末期の北面の武士・遠藤盛遠その人である。
『・・ぜひもありませぬ。十四日の夜の戌刻、良人の寝屋へ、さきに忍んで
ください。その宵、良人にふろをすすめ、髪のよごれも洗わせて、酒などあ
げて寝ませておきます。・・・どう仰っしやっても、良人が生きているうちでは、
あなたのお心に従えもいたしません。
わたくしは、遠い部屋で、あなたが、ことをすませるのを、眼をつぶって待っ
ておりましょう。』
(新・平家物語(一)ちげくさの巻 鬼影 吉川英治著 講談社・昭和42年)
やはり物語のこの一節が思い出される。
盛遠は、同僚である渡辺渡(わたる)の妻・袈裟御前に恋し、渡るとの縁を
切ることを迫ったところ、袈裟がそれに応える下りである。
夫を殺してくれと盛遠に持ちかけ、その実己の操を守るため、自分が夫の
身代わりとなり盛遠の手に掛り殺されてしまう。
それは執拗を極め一徹で、脇見を知らぬ男の横恋慕の挙句の事であった。
恋する人を手にかけ、首を手にした盛遠の驚愕は如何ばかりであったの
か・・・。慙愧の余り痛涙に咽びながら逐電した盛遠の姿を、その後都で見
た人はいなかったと言う。
盛遠は悔恨の念から出家し、文覚と名乗りその後伊豆の頼朝の蜂起を
導く重要な役割を担うのであるが、この儚無くも壮絶な悲恋が、そののちの
歴史を大きく動かしたのである。(続)
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