簾 満月「バスの助手席」

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弘法市(四国遍路の旅・高野山編)

2015-09-18 | Weblog
 東寺を下賜された空海は、都における布教拠点として、真言宗の僧50人
余りを住まわせるとともに、他宗の僧の居住を禁じ、教義の純粋さを保ち、
真言密教の根本道場としての整備に着手した。



 その後「大師(空海)信仰」の高まりから東寺は、「お大師さんの寺」として
広く信仰を集めるようになり、空海が高野山奥の院に入寂になると、その日
が新暦の21日と言う事で、月命日のこの日には御影堂で御影供(みえいく)
と言う法要が行われるようになる。



 江戸時代になるとその日に合わせ、境内では「市」が開かれるようになり、
人々はそれを「弘法市」「弘法さん」と呼び親しむようになった。
当時は、参拝客の喉を潤すお茶屋さんが中心であったと言う。



 初めて東寺の弘法市を訪ねたのは、もう半世紀近くも前になる。
境内を埋め尽くす出店の数と、売られるものの種類の多さ、それを取り巻く
人の数に大いに驚かされたものだ。



 当時の印象は、衣料品や古着・骨董品、市松人形・雛人形などを並べる
店が多かったように記憶していて、さすが京都らしいと思ったものである。
骨董屋の店先では、店主とのやり取りを愉しみ、時代劇に出てきそうな酒
徳利や湯呑を買い求めたことを覚えている。



 この日夜明け前に降った雨も上がり、綺麗に晴れ上がり暑いほどの陽気
となり、「弘法さん」は大勢の人々で賑わっていた。

 海外でも紹介されているのか、外国人がことのほか多く感じられる。
古着を並べる店は、随分と少なくなったような気がする。
小道具や骨董品は相変わらずのようだが、市松人形や雛人形を扱う店が
目につかない。



 代わりに各地の名産・特産品、食品類を扱う店が増えているようだ。
挽きたてコーヒーを飲ます店まである。元々お茶屋が原点ではあるのだが、
時代とともに、出店の中身も変わって行くのであろう。
二度目の「弘法市」は、半世紀と言う時の流れを感じさせるのである。(続)




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コメント
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